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(閑話)


 がさがさがさとスーパーの袋が鳴っている。夏といっても八時をすぎればもう周りは暗く、所々に設置された街灯の明かりが頼りだった。今日は月が出ていないので星が明るい。

「なあ、そういえばお前、大学ってどこ行くわけ?」

 ふと気になって隣を歩いていた流川に聞くと「――大」と非常に単純明快な答えが返ってきた。ふうんと流しそうになって、しかし聞き覚えのある名前にちょっと待て、と思う。

「お前今、――大つったよな?」

 恐る恐る聞くと、こくんと流川が頷く。「おま、それ、」。言葉にならない声が口から漏れる。「ヒヨコかてめーは」。顔に似合わず口の悪い流川が花道を見ていった。

「それオレと一緒じゃねーかよ!」

 ヒヨコ発言を無視して叫ぶと、それまで蔑むような目で花道を見ていた流川も、驚いたように目を見開いた。

「はあ?何かの間違いじゃねえの?」
「違ーよ!だって、家に来たぞ何か偉っそうな髭生やしたオッサンが!」
「……家にも来た」

 たらりと普通の汗なのか冷や汗なのかわからない汗を流して、花道と流川は見つめ合った。ややあって、流川が先に目を逸らした。「やっぱり」。小さな声で呟く。

「何かの間違いだろ」
「だから間違いじゃねーつってんだろ!そんとき、洋平も一緒にいたんだぞ」
「二人して幻覚でも、見たんじゃねーの。オレとおめーが同じ大学とか、ありえねえし」
「あんだと!」

 何だかんだと言い合いながらも、いつの間にか花道のアパートについていた。「ぜってー、ありえねえ」。まだしつこくいう流川を尻目にドアノブを回してドアを開けようとする。が、ガチャンと音がしただけでドアは開かなかった。

「あれ?」

 中には雪と晴子がいるはずだった。不思議に思ってもう一度回す。しかし開かない。花道がインターホンを押そうとしたところで、「何か貼ってある」と流川がドアを指した。
 薄暗いから気づかなかった。覗き窓の辺りに張られた白い紙を取って、二人で覗き込む。紙にはこう書かれていた。

 『後片付けが思ったより早く終わったので、先に二人で浜に行ってるね。バケツも持っていく。鍵は雪ちゃんが持ってます。晴子』

 嫌な沈黙が二人の間を支配した。「今、何時だっけ?」。花道が聞く。「八時ちょい」。腕時計を見て流川が言った。

「…………」
「…………」

 顔を見合わせた後、同時に踵を返した。浜に向かってばたばたと走る。手に提げたスーパーの袋がガシャガシャと派手な音を立てていたが、気にしなかった。何分前に二人はアパートを出たのか。もしかしたらもう浜についてしまっているかもしれない。花道はぎゅっと唇を噛んだ。今日は新月だから、さすがにナイトサーフィンをやっているやつはいないだろうが、かといって浜に誰もいないというわけではない。というか、いつもと変わらず人はいるだろう。ごく一般的にちゃらちゃらしたのが。
 浜まで出ると、晴子と雪はすぐに見つかった。雪らしき髪の長い女の影が、花道のほうを指す。少しだけ荒れた息を整えながらゆっくりと、そちらに近づいていくと、彼女ら二人を囲んでいた陰が、逃げるように散った。いや散るように逃げた、か。どちらが正しいのか、花道にはわからなかった。

「桜木君。こっちこっち」

 人の気も知らないで、晴子がのん気に手を振る。花道は大きく息を吐き出しながら脱力した。砂浜に座り込んだ花道の横を流川が歩いていった。「どあほう」。「あた」。恐らく流川が雪の頭を叩きでもしたのだろうが、見ていないので実際はわからない。十中八九当たっているだろうが。

「どうかしたの、桜木君」

 晴子が花道を覗き込んで聞く。デニム地のスカートから白い足が、半袖のシャツの袖口からは二の腕が、それぞれにゅっと生々しく飛び出ている。本当に、この女の子の側にいたら危なっかしくて、心臓がいくつあっても足りない。立ち上がりながら、花道はそう思った。

「さっきの奴ら、なんて言ってたんすか」

 聞くと晴子はにこにこと笑って「一緒に遊びませんかって聞かれたの」と答えた。

「でも友達がもうすぐ来るからって、言って断ったときに、あんたたちがちょうど来たから指差したら、あっという間に行っちゃったよね」

 こちらに近づいてきながら、雪が言う。手には空っぽの青いバケツを持っていた。根性のない奴らでよかった。流川もそのとき同じことを思ったことが、花道にはわかった。

「花火、買ってきた?」

 そんなことをまったく気にせず、雪がバケツをぷらぷらと振りながら聞いた。久々に殴ってやろうかと思った。



 手に持った花火をぐるぐると回してやると、晴子はすごい!きれい!と手を叩いて喜んだ。そして「わたしもやってみたい!」。それ駄目だと言おうとしたのだが、それよりも早くに晴子は花火を振り回し始めたので、もう花道は晴子に近づくことができなかった。

「ねえ見て雪ちゃん!きれいだよねえ」
「うん。きれいだね」

 少し離れたところで座り込んで黙々と花火を燃やしている雪が言った。その横で流川が眠たそうに欠伸をする。欠伸をするんだったら、花火を放せと思うのだが、何だかんだと流川もじっと花火を燃やし続けるのだった。雪の横で、それが義務のように。ジジイとババアかあいつらは。花道は思った。
 しゅううと尻すぼみな音がして、晴子が持っていた花火から火が消えた。「あーあ」。残念そうに晴子がいう。花道としては、ひとまず安心である。

「あ、晴子ちゃん、それ最後だったかも」

 びりびりに破いたボール紙を漁って雪が言う。「えええー」。不満そうに晴子が声を上げた。ととっと雪と流川のほうに近寄っていって、雪の手元を覗き込む。くあ、と流川がまた欠伸をした。

「わあ。本当だ。もうない」
「ねー。残念」

 この二人の女の子は、声音の温度差が激しくて、見ていると少し面白い。明るく無邪気な晴子に、どこか冷めたような雪。ぱっと見れば、雪がいやいや晴子に付き合っているかのように見える。が、実は雪は、かなり晴子のことを大事にしているのを、花道は知っている。昔、晴子が流川の親衛隊にいじめられそうになっていたときなど、真っ先に飛んでいったらしいというのを、洋平から聞いたことがある。変わったなあ、あいつも。感慨深そうに洋平は言っていた。

「これ、ちげーの?」

 指の先で摘んで、流川がボール紙の残骸の中から何かをつかみ出す。頼りないシルエットのそれは、よく見てみると線香花火の束だった。

「わあ、線香花火だ」

 嬉しそうに声を上げて、晴子がそれを流川の手から受け取る。「やろうよ」と晴子が花道の履いていたジーンズの裾を引くので、花道もその場にしゃがみ込んで輪になった。

「花道。ヤンキー座りやめなよ」

 雪がいうので、ペタンと浜に胡坐を掻く。砂はざらざらと乾燥していて冷たかった。雪が着ている少し長いスカートの裾がばたばたと風にはためく。雪は流川と雪のものに、花道は晴子と自分のものにそれぞれライターで火をつける。何にも言わなかったけれど、最後まで落とさなかった奴が勝ち、というありきたりなゲームの雰囲気が四人の間を支配した。一言も喋らず、それぞれがじっと爆ぜる小さな光を見ている。

「……あ!」

 最初に落っことしてしまったのは、やはり晴子だった。「落ちちゃった」と残念そうに言う。のと同時に雪も「あ」と声を上げた。ぽとりと小さな炎が落下する。

「……負けねーぞ」

 流川を睨んでいうと、「こんなことでまで張り合うなよ」と雪に呆れられた。じりじりと小さな炎が燃える。花道の線香花火は結局最後まで消えなかった。勝ったと思ったのだが、流川のも最後まで消えなかったらしい。何だか、釈然としなかった。

「あ、釈然としねえで思い出した」

 二つ目の線香花火に火をつけながら、不意に花道は言った。

「てめーそういや、同じ大学がありえねえとか言ってやがったよな。どういう意味だよ」
「別に、そのまんまの意味」

 顔色ひとつ変えずに流川は言う。だからこいつは気にらねえんだと花道は歯軋りした。何でもかんでも顔色変えずに言いやがって。

「え、同じ大学行くの、あんたら」

 雪が驚いたように聞いた。その拍子にまた雪の線香花火の火が落ちた。

「ていうか、もう大学決まったの……」

 口を尖らせて晴子が言う。

「や、別に内定もらっただけなんすけど」
「十分だよう。いいなあ」

 私これから勉強なのに、と線香花火の火を見ながら晴子がいう。そうか、晴子はもうマネージャーを引退してしまったのだなあと花道は再び悲しくなった。これからはもう、晴子と一緒に部活に行くことができないのだ。そう思うと少し涙が浮かんできた。

「晴子ちゃんは進学どうするの?四大?」
「ううん、短大の被服科に行こうと思ってるの」
「あー、スタイリストとか、その辺?」
「うん。できたらね」

 はにかんで晴子が言う。その合間にぽたりと流川の花火が落ちる。ざまあみろと思った瞬間に自分のものも落ちた。

「あ、今度は私が一番だ」

 うれしそうに晴子が言った。そういえば、と晴子は風に煽られる髪を押さえながら首を巡らせた。

「雪ちゃんはどうするの?」
「わたし?」

 晴子が聞いた瞬間、花道はどきりとした。そして、春に雪から聞いた話を思い出した。アメリカ。その単語がちらちらと脳裏を掠める。

「わたしも進学するよ、大学。でも部活は引退しない」

 そう言い放った雪に、晴子と花道は揃って声を上げた。雪は困ったように笑う。「だって、わたしまで引退したら、マネージャー一人もいなくなっちゃうじゃん」。そう言って、最後の一巡りの線香花火に手を伸ばした。

「紺君にずうっと、マネージャーの女の子見つけておいで言ってるんだけどね」

 なかなかうまくいかないね。
 雪は最後の線香花火に纏めて火を点けた。じわりと燃え広がる。くじを引くようにひとつずつ線香花火の細い紙縒りを摘む。火を落としてしまわないように十分な注意を払って持ったそれは、みんながみんなふるふると震えていた。
 最後の一本が燃える間を、また沈黙が支配していた。花道は晴子や雪や流川がその間、何を考えていたのかわからない。同じように、誰も花道が何を考えていたのか、知らないはずだ。きっと来年は四人一緒にいられないことを確信していた、なんて。
 ほたり。最初に落ちた火の玉は、誰のものだったのか。












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