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二、痕に咲く


1.

 潮江文次郎という男は、恐らく変な男であった。そもそも、痛がる素ぶりを見せないことや、あれ程の大怪我をしても平然とした顔をし続けてみせたところからして、普通の人間とは違っている。
 彼女は薬師の父が拾ってきたり、父を頼ってきた怪我人や病人、そしてそれらを介抱しながらここまで連れてきた介添人をいくらか見たことがあるが、彼らは総じて悲壮な顔をするものだった。
 痛いとか、苦しいとか、嫌だとか、どうして自分が、とかそういう顔。

 その顔には多少なりとも恨みがましく、憐憫に溢れていたものだか、対して潮江にはまるでそれがない。しらじらとした顔をしてみせて、さらには体が鈍るからと言って重たい鉄鍋や、水桶をいくつも欲しがるような始末だ。
 初めは、まだ足の傷も塞がっておらず骨折も治っていないのに布団から出て外へ行こうとするので、大慌てで止めたのだ。いくらかの押し問答をして、やっと潮江は布団の中でもできる鍛錬をすること、彼女は潮江に重たい鉄鍋や水桶を貸してやることで、妥協点とした。
 本当はまだ怪我からの発熱が治まりきっていないので布団の中で大人しくしていてほしいのだが、そうすると潮江は無理矢理でも床から抜け出そうとする。そのため、彼女も「布団の中でできる鍛錬」までを譲歩した形だ。

「潮江さん、大人しくしていてくださいと言いました」
「布団からは出ていないだろう」

 外の薬草園の世話をしてから家内に戻ると、潮江が布団の上で腕立て伏せをしていた。思わず苦言を呈すれば、潮江はしゃあしゃあと「布団からは出ていない」などと宣う。

「私の『大人しくしていてください』という言葉の意味をわかって、言われてますか?
 そんな風に足に負担をかけては、治るものも治りません」
「お言葉だが、一日寝ていてはそれこそ立てるものも立てなくなってしまうぞ。
 これぐらいで治りが悪くなるような、そんな柔な鍛え方はしていないつもりだ」

 思わずかちんと来て言った彼女の言葉に、同じように潮江が言い返す。彼女は薬師見習いとして『凡そ一般的な人間の体』というものについて潮江よりも詳しいと考えていたし、潮江は潮江で『自分自身の体』について彼女よりも詳しいと考えていた。
 どちらが正しいという類の話ではなかったが、互いに自分の意見を曲げないような我の強さはあったため、二人の言い合いは大抵平行線を辿った。
 大きく溜息を落とした彼女は、薬草園から摘んできた荷を囲炉裏間に上げると、履物を脱いで土間から上がった。もう少し外で薬草園の様子を見ようかと思ったが、潮江がこうして無茶ばかりをするので少し見張っていようと思ったのだ。
 潮江はそうして叱られたため、とりあえずは体勢をうつ伏せから仰向けに戻して、近くの手桶を取った。中には石が詰め込まれている。鉄鍋では軽すぎると言われたため、彼女が外で拾ってきた石を詰めたのだ。
 外でひょろろ、と鳶が鳴いた。開けた窓からは夏になりかけの、とろついた風が吹き込んでくる。少しだけ鼻がむず痒くて擦ると、手先についた薬草の青臭い匂いがした。

「……あなたは、ずっとこの家にいるのか」

 ぷち、ぷち、と彼女が摘んできた薬草の水枯れした葉を取ってそろえていく。その音だけがしている中で、ふと潮江が言った。確かに潮江も、日がな一日床から出ることができないので暇なのだろう。
 潮江は少し気まずげな顔をして、聞いたくせにじっと前を見て手桶の上げ下げを繰り返している。

「そうです。物心ついてから、山から下りたことはありません」
「……そ、そうか」

 聞いてきたのはそちらだというのに、なぜか潮江のほうが落ち込んだような顔をして、それ以上何も言おうとしない。会話がへたくそな人なのだな、と彼女は思った。

「足が悪いので悪路は行けませんが、父がこの家の近くの道はよくしてくれたので、この家の周りなら歩いて回れますし、家の脇には父の薬草園があります。
 そこは父が山のあちこちから採って来た薬草がいくつも植わっていますから、世話をして生態の観察をすると飽きないですし、時折町へ下りた父が医書や随筆を買ってきてくれます」

 言外に「何もすることがないわけではない」と言ったつもりなのだが、そう言うと潮江はこちらを見て少し間の抜けた顔をした。彼女の足は膝から下が思うように動かないのだが、逆を言えば膝までは動く。
 薬草園の畑では膝をついて畝を移動しながら植物の世話ができたし、言った通りに家の近くであれば移動するのにも問題がない。潮江が思うほど、何もできないわけではないのだ。

「医書まで読むのか」
「父が教えてくれたので」
「……同輩に、薬草や医術に興味のある男がいるのだが、そいつと気が合いそうだな」

 ぽつりと潮江が言った。潮江が自分のことを話すのはこれが初めてで、彼女は思わずはっとして顔を上げた。期待が顔に出ていたのだろう。潮江は少し驚いた顔をしてこちらを見た。

「あの、潮江さんのいる『学園』とはどういうところなのですか? 同じ年頃のご同輩がたくさんいらっしゃる?」
「いる。俺と同じ年の者は六年生でもうすぐ卒業間近だ。一歳ずつ年が違って、十歳で入学する一年生から六年生まで」
「そこでみんなで忍者の勉強をするのですか?」
「ああ。それに男だけではなく女の忍者たち、くのたま達もいるぞ」
「女も忍者になれるんですね、いいなあ」

 思わず明け透けに羨ましさを吐露すると、潮江はぎょっとした顔をしてみせた。

「くノ一になりたいのか? とんでもないぞ、性悪ばかりだ。あなたには向いていない」
「そんなこと、わからないではないですか」
「しかし、俺や他の同輩を池に蹴落としたり騙して課題を手伝わせたりをして、平気で笑っているような連中だぞ。
 絶対に向いていない」
「…………何となく、潮江さんがそのくノ一の方々にいいようにされているのは、わかりました」

 そう言えば、潮江は渋面で「俺だけじゃない」とぼやく。「いいようにされている」については否定をしないんだな、と思って少し笑うと、潮江は虚をつかれたような顔をした。

「? どうかしましたか」
「……いや。そういうくのたまとばかりやり合っていたし、町でもそうそう話す機会などないから。
 今まで同年代の女子と気安く話すなんて、そうなかったな、と思った」
「それは、確かに私もそうです。
 父を頼って時折人は来ますが、患者様は壮年の方が多いですし、お付きの方が若くても大抵家内には入られませんから。お話することもあまりなくて」

 彼女も同じくそう言ってから、はたと潮江と目を合わせた。何となく、潮江が話しやすいというか、この家の空気に馴染むような感覚がしたのだ。
 そもそも、今までの父の患者のお付きに似た年齢の者がいたとして、話そうと思ったことはなかった。そしてそれは、父に付いて世話をしてきた患者についてもそうだ。
 優しげな見かけの者も、話し方が柔らかい者もいくらでもいたし怪我や病が治ってからお礼に、と家を訪った者もいたが、彼女はいつも父の影に隠れて、自分が話そうとか何かを聞こうと思ったことすらなかった。

 それが潮江に対しては叱りもするし、彼の通う「学園」というものがどんなものか知りたいと思う。自分でもそれが不思議だった。
 潮江はむず痒そうに口元に手をやって、そのままむっつりと黙った。彼女は手元に残った薬草を揃えてしまって、蔦の紐で少量ずつ括っていく。
 ややあって、潮江は手桶の上げ下げを再開したようだった。手桶が重みに擦れて、たゆむ音が微かに聞こえる。
 き、き、と木材の鳴る音が明るい午後の日差しにとけていくようだった。





2. 

 それからも潮江と彼女は、いくらかの話をした。潮江は学園での生活のこと、潮江自身の生家のこと、彼女はこの山で見える景色(この近くには泉があって、とても水が綺麗なのだ)や、育てている薬草について(うっかりと毒のある薬草に既で触れてしまい、父にこっ酷く叱られた)ことなどを話した。
 お互いに喋り上手なほうではないし、ふと沈黙が降りることも何度もあったが、不思議とそれが嫌ではないのだ。どうしてだろう、と彼女は何度か考え、ようやく思い至った。
 
 潮江という男は、自分の父親と少し似ているのだ。
 不器用で話し下手で、でもこうと決めたことに関しては真っ直ぐ遂行しようと努力を怠らないこと、自分以外の誰かからの言葉や評価に全く左右されないところ。価値基準がいつも自身の中にあるところ。
 彼女自身は、自分の足が悪く満足に歩けないことも相まって他人の目を気にしがちなところがあったが、父はそういう他者からの憐れみや同情を気にしたことがなかった。
 父は、お荷物の娘がいて大変だろう、と言う他人に対して
 
「娘は薬草園の管理をしているし、調薬もできる。家の中のこともしているが、何が大変か?」
 
 などと平気で聞くような人なのだ。嫌味でも何でもなく、父はいつも「何が大変なのか?」と本気で聞いている。
 そういう父の態度に彼女は救われていたし、逆に足の不自由を理由にして怠けるわけにはいかない、とも思った。
 その父と、潮江は何となく似ているのだ。
 
 潮江も初めこそ足の不自由な彼女に過度に気をつかう素ぶりや、腫物に触るような素ぶりがあったが、今ではそんな態度は全くない。
 彼女には一定の生活の事柄ができるとわかってからは、「あれが欲しいこれが欲しい」ということを潮江自身が床から動けない代わりにあれこれ言うようになったし、逆に彼女ができることとできないことを注意深く見極めているように見える。
 彼女は何だかそれが、嬉しかったのだ。父ではない同じ年頃の他人が、自分を一人前として扱ってくれるようで、嬉しかった。
 父はわかっていたのだろうか、と思う。
 潮江が父と似ていること、潮江が彼女の上辺でなく彼女自身を見てくれるような人柄であること。
 
 恐らくわかっていたのだろう。だから父は潮江に彼女を任せて、潮江の連れを探しに行くと家を空けたのだ。
 その父が家を出て、そろそろ五日ほど経つ。父は今どこまで潮江の連れを探しに行ったのだろうか。

「わからんが、忍術学園まで直接行かれたのかも知らんな。ここは月ヶ峰の山内だろう。
 俺の同輩が捜索に来ていたとしても、恐らく深山のほうだ」

 潮江はすらすらと地名を言って話すが、彼女のほうは地理に詳しくない。表情からそれを見て取ったのだろう。
 潮江は「俺の同輩とお父上殿は、すれ違いになったのではないかと思う」と言い換えた。

「ここが月ヶ峰の山内のどれほどの位置なのかはわからんが、もし山から下りて二日、忍術学園まで二日だとすれば、そろそろ学園に着かれた頃だろう。戻りまで、もう少しかかるのではないか」
「そうなのですね」

 潮江の話に彼女は頷いた。彼女自身はこの山から下りたことがないので、よくわかっていないが潮江がいうならそうなのだろう。
 彼女は話しながら、囲炉裏で沸かした湯を桶に映し同じく水を入れて湯加減を見た。彼女が湯の用意をしたのを見ると、潮江が着物を肌蹴て背中をこちらに向ける。
 潮江の怪我では水浴びも湯あみもできないので、こうして湯を絞った布で体を拭いているのだ。

「熱くないですか」
「大丈夫だ」

 されるままに背中を拭かれる潮江の体は、やはり身頃が厚く自分のものとは違う。粗方背中を拭き終わると、そのまま潮江に湯が入った桶と手ぬぐい、新しい着替えを渡して部屋を出た。
 潮江の着替えが終わるまでは、いつも外に出ている。山の夕暮れは早いので、東の空がもう薄っすらと陰り始めていた。
 びゅう、と生ぬるい風が吹く。この時期にしては珍しい、湿気を多く孕んだいやに生暖かい風であった。はっとして、空を見る。風は強く、空の雲はぐんぐんと押して流されていく。

「野分(台風)が来るかもしれません」

 潮江の着替えが終わった頃合いを見て戻り言えば、潮江は眉を顰めて怪訝な顔をした。

「確かに時期と言えばそうだが、少し早くないか」
「しかし、この風の吹き方は野分の前触れでしょう」

 窓を大きく開けてその風を入れてやると、潮江も納得したようだった。いつもこういう嵐のときは父と二人で家の中に閉じこもっているのだが、その前に水の汲み置きをしておかないといけないし、薬草園に植わった草にも、支えを足してやらなければいけない。

「俺も手伝おう」
「馬鹿を言わないでください、潮江さんはまだ安静にしていなければ」

 潮江はそういうが、折れた足はまだくっ付いていないし、太腿の傷も塞がったわけではない。彼女はとんでもないと首を振ると、日の暮れかけた庭先に出た。
 山は日が暮れ始めると、あっという間に夜になってしまう。すでに薄暗くなり始めている足元に注意をしながら薬草園まで行くと、作業小屋の中に置いてある支柱用の木材と麻布を出してきて、枝ぶりの細い薬草に覆いを付け始めた。
 その間に日は暮れてしまい、ますます風が強くなる。ぽつりと雨が降り始めたのは、その矢先だった。もう嵐が来てしまったにしては早すぎるので、別の雨雲であろうがあまりに間が悪い。
 雨はあっと言う間に地面を叩き始め、水はけをよくしてある薬草園の地面はすぐにぬかるんだ。何とか覆いをつけて杖を使って立ち上がったが、ぬかるんだ地面の上では杖は滑りやすい。ずるり、と杖が滑りそのまま体勢を崩した。
 転がってしまっては、折角覆いと支えをしてやった薬草を潰してしまう。そう思ってぎゅうっと目を瞑ったが、しかしいつまで経っても地面に倒れた衝撃は来ない。
 恐る恐る目を開けると、誰かが自分の腕を掴んでいるようだった。

「この、バカタレが」
「し、潮江さん……?」

 彼女の腕を掴んで支えていたのは、家の中で安静にしていなければいけないはずの潮江だった。潮江はそのまま彼女の腕を引いて片腕で彼女を抱き上げると、杖を拾って薬草園の柵へ立てかけた。

「な、なんでここにいるんです、歩いては……」
「何度も言うが、これぐらいで何日も歩けなくなるほどの軟な鍛え方はしとらんぞ」
「ですが、」
「いいから、残りはどこの畝だ? 俺は薬草の世話なぞはしたことがないから、何をどうするか教えてくれ」

 潮江は自分でそういう通り、なるほどしっかりとした歩き方をしていた。潮江の足が折れ、太腿の傷から父が矢尻を抜いたのはたった五日前だ。確かに骨折には添え木をしてあるし、太腿の傷も問題なく治ってはきていた。それでもたった五日ですたすたと歩けるような傷の程度ではない。
 彼女は半信半疑の気持ちであったが、それでも彼女を片手で抱きかかえた潮江は、痛む素振りもなく悠々と歩く。雨粒は徐々に勢いを増していた。
 申し訳ないと思いながらも、彼女は結局潮江に残りの畝に覆いをかけてもらい、雨風で足元が悪い中を潮江は彼女を抱き上げたまま、家の中に戻った。水瓶の中にはいつの間にか水が汲み足されており、潮江はすたすたと家に上がると彼女に手ぬぐいの場所を聞いて、それを持ってくる。

「潮江さん、足の怪我は……」
「ん、ああ。問題ない」

 慣れた手つきで囲炉裏の火を起こしている潮江に聞けば、そんな軽い返事が戻ってくる。雨で濡れた体を手ぬぐいで拭いた彼女は、囲炉裏の側にいる潮江に近づき、濡れて張り付いていた潮江の着物の裾を捲った。

「な、何をする、」
「やっぱり! 潮江さん、無茶をするから傷口が開いているじゃないですか!」

 太腿に巻いた包帯には、新しい血が滲んでいた。思わず勢いこんで言えば、彼女の突飛な行動に驚いた潮江が体勢を崩して後ろ手をつく。そのまま掴んでいた潮江の着物に引っ張られて、彼女も同じように体勢を崩した。
 慌てて手を付いたのは、潮江の胸板だった。熱くまだ雨に湿っていて、どくどくと脈打っている。硬い、自分とは違う体だった。

「……は、」

 思わず息を吐いたのが、どちらなのかはわからなかった。体勢を崩した彼女を支えようと、潮江の手のひらが腰の辺りにある。
 まったくの不可抗力であったが、諮らずも彼女が潮江を押し倒して体の上に乗り上げたような、潮江が彼女を自分の体の上に乗せたような恰好になってしまった。
 潮江の太い首の筋を、雨のしずくと肌に張り付いた潮江の黒い髪が伝っている。潮江は床にいたから、髷を結わずに低い位置で軽くまとめていた。そこから垂れたしずくが、ゆっくりと潮江の首筋を流れて、熱い肌の上を流れていく。目が逸らせなかった。
 そしてそれは、潮江のほうでも同じであった。思わず抱いた腰は尻との境目のような位置で、手のひらの下には自分とは全く違う柔らかく少し冷えた肌がある。そして黒々としたその目を大きく見開いて、彼女は潮江を見ていた。
 彼女の、普段の年の頃に似合わず達観したような言いぶりや仕草とはまるで似合わない、少しあどけない表情であった。そしてそうして潮江を見る彼女の頬からしずくが垂れて、落ちる。
 雨に濡れたり転びかかったりをしたからだろう。着物の合わせ目が緩んで、奥の膨らみと谷間が少しだけ、見えていた。
 思わずごくりと、唾を飲んだ。

「す、すまない」
「あ、いえ、私こそ」

 自分が生唾を飲んだ音で我に返った潮江は慌てて身を引き、彼女も後ろに下がって潮江の上から退いた。どく、どくと鳴る心臓の音が彼女に聞こえていないか、潮江に聞こえていないかを二人は互いに不安に思い、目を合わせられずに謝罪を繰り返す。
 彼女は立って潮江の着替えと自分の着替えを取りに行き、彼女は奥の間で、潮江は囲炉裏間で無言で着替えた。そうして少し間を開けたことで少し落ち着いた彼女は、潮江の開いた傷口の処置をするために新しい包帯を持って囲炉裏間に戻った。

「潮江さん、開いた傷口を見せてください。包帯を変えましょう」
「あ、ああ。すまない、頼む」

 着替えて大人しく床に戻った潮江は、言葉少なく頷いた。彼女が自分のまたぐらに向かって跪いて、血で汚れた包帯を解いていく。
 彼女にそんなつもりはないのだろうが、太腿に巻いた包帯を取ろうとすると、彼女の指が潮江の内腿に何度か微かに触れて、ひどく気まずい気分になる。
 言われるままに足を出して包帯を巻き直しが終わるまで、潮江はじっと目を瞑って天井を仰いでいた。目の奥には、先ほどの彼女の緩んだ着物の合わせ目がどうしても浮かぶ。潮江は彼女に知れないように、奥歯をぐっと噛んだ。

「あの……ありがとうございました」

 包帯を巻き終わって、左足の脛の骨折の様子を見てから、彼女はようよう言った。ぐす、と鼻を鳴らして目元を擦る。
 彼女に体に触れられる感触に歯を食いしばって天井を仰いでいた潮江は、いつになく落ち込んだ調子の彼女の声音を聞いて、はっと視線を戻した。俯いた彼女が、手の甲で目元を拭っている。

「潮江さんに『大人しくしていてください』なんて啖呵を言ったのに、結局、私一人では薬草の雨避けさえ、満足にできませんでした」
「別にいいだろう、それぐらい」
「ですが、結局私は一人では、何もできないのです。この足である限り、厄介者なのです」
「…………俺はあなたの父上に、『頼む』と言われたんだ」

 彼女が鬱々とした気持ちで話した言葉に、潮江は少し迷った素振りを見せてから、言った。目元を擦りながら顔を上げると、潮江はひどく狼狽した顔をして彼女を見て、彼の手のひらはどうしたらいいわからない、とでも言うように持ち上げたまま、まるで落ち着きがない。

「何度も言うが、俺は体が頑丈だ。いつも鍛錬のために、池の中で寝起きもしている。
 だから、アーなんというか、……俺を使ってくれよ。
 あんたはいつも、自分にできることをきちんとしているだろう。薬を作ったり、小まめに薬草の面倒をみたり。俺の介抱だってしてくれて、こんなに甲斐甲斐しくされたことなんて、親にも保健委員にもない。
 だからあなたのできないことを俺もして返すから、俺を使って頼ってくれないか。
 そうでもないと、あんたの父上様に、合わせる顔もない」
「……なんですか、それ」

 柄にもなく潮江が彼女を元気づけようとして重ねる言葉に、彼女は思わず笑ってしまった。潮江はほっと息を吐いて、肩の力を抜く。外で吹いた風が、かつんと窓枠を揺らして音を立てた。

「潮江さんって、変わった方ですね」
「放っておいてくれ」
「これは、誉め言葉ですよ」

 彼女に率直に言われて、潮江はむすっと顔を背けた。自分でもらしくないことをしたとわかっている、その照れ隠しだった。
 それを理解した彼女は笑って、それから汚れた包帯を持って立ち上がった。外ではいよいよ風が強くなってきたようで、時折高く鋭い風の音が聞こえる。
 そのまま二人で、温かい雑炊を作って食べた。潮江は照れ臭さからいつもよりも更に言葉が少なかったし、彼女も無理に話しはしなかった。
 それでも、二人の間に今までなかった何かができてしまったのは事実だったし、それを彼女も潮江も、何となく感じ取っていた。そういう嵐の中の、一夜だった。

 そうして潮江文次郎の迎えが、つまり忍術学園からの使いを連れて彼女の父が家に戻ったのは、その嵐が明けた後の、まるで輝くような朝だった。 






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