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 結果的に、フロイドをジェイドに引き取ってもらうことはできなかった。そもそもジェイドの言うとおり、フロイドが荷物を抱えてオンボロ寮に来た原因はジェイドとの諍いだったようなのだ。

「ゼーーーーッテェ帰ンねえし。またジェイドにキノコ呪ったとかワケわかんねェ言いががり、付けられたくねぇモン」
「おやおや。困りましたねぇ。僕は疑っているわけではなく、そんなことはしてないかの確認をとっただけのつもりなんですが」
「聞いてくる時点で疑ってンだろ、そんなヤツと一緒に生活できっかよ。ザケンナ」
「そういうわけです。監督生さん」

 どういうわけなのか、監督生には全くわからなかったが、ただ暑い最中に日傘をさしてオクタヴィネルまで行ったことが無駄になったことだけはわかった。ジェイドの笑顔が恨めしい。フロイドは結局オンボロ寮に泊まることになった。とりあえず気になるし、自分のほうがなにか感染症にかかってもいやなので庭の池をテリトリーにするのはやめてもらったが、昨日一日で疲れたということだけは言える。



「お疲れですね、監督生さん」
「お宅の兄弟、どうなってるんです? 昨日は寝れませんでした」

 昼休みになって様子を見に来たらしいジェイドに恨み言を呟く。グリムとフロイドはなぜか途中から異常に仲がよくなり、明け方までどんちゃんと騒いでいた。ゴーストももともとの性分が宵っ張りのため誰も苦言を呈することなく、彼らは好きに騒いで好きに寝た。監督生の意見はなかったことにされたのだ。つまり、監督生はほとんど寝れなかった。グリムに関しては現在、監督生の膝の上で熟睡中である。

「一応僕も申し訳ないと思っているので、昼食のお誘いにあがったのですが……。今日はご馳走させていただきます」
「これでチャラにはしませんからね」

 監督生はできる限り刺々しく言って、食堂へ向かうジェイドの後を追った。次は移動授業なので、グリムはこのまま連れて行くしかあるまい。教室の中でひやひやしながらこちらを伺っているエースとデュースに預けても、起きたら腹が減ったと騒ぐに違いないし、食事代を持ってくれるというならグリムの食事代もジェイドに払わせたほうがいいだろう。

「そもそも、どうして喧嘩になったんですか? 私には知る権利があると思いますが」
「そんな怖い顔をされて。そうですね、お恥ずかしい話ですが、お話しするしかないですね」

 食堂で一番の高いセットとデザートまで追加して席につき、監督生は切り出した。ただ、向かいのジェイドはそれ以上の金額と量の食事をトレーに載せているので、監督生の食事代などは誤差の範囲なのかもしれない。
 「キノコなんです」とジェイドは口の中のものを嚥下してからおもむろに言った。「キノコ?」 監督生は訝しんで聞き返してしまう。

「そうです、僕のキノコが最近おかしいんです」
「おかしいって、なにがおかしいんです?」

 漠然としたジェイドの物言いに監督生は首を傾げる。そういえば、昨日も植物園の前を通った際に、「キノコがあげられない」というようなことを言っていた。ジェイドは育てたキノコを食堂に卸しているらしいのだが、大きさや形など一定の基準に満たなかったキノコ―いわゆる規格外のキノコを時々ラギーや監督生など、自炊している生徒に分けてくれるのだ。
「規格外なのでお金を取れるようなものではないし、自分で食べきれないことはないけれど、たびたび周囲で暴動を起こされるのでもらってほしい」と最初に持ってこられたときはなにかの罠かと思った。けれどキノコ自体は普通に肉厚でおいしそうなキノコであったし、食べても特に不調はなかったので今はありがたくいただいている。
 お礼には、手慰みで焼いたケーキやハーツラビュルのお茶会でトレイに分けてもらったスコーンなどを何度か渡している。なので、この件に関しては貸し借りはゼロになっていると、監督生自身は認識している。

「キノコが育たなくなってしまって。
 なにか空調魔法が緩んでいないか、水や湿気は十分か、光の加減も確認しました。それでまさかと思って呪いの気配や魔法の痕跡も確認しました。けれど、なにが異常なのかわからないんです」
「育たないって、どう育たないんですか? すぐに枯れてしまうとか」
「いえ、大きくならないんです。そのキノコは室内栽培ですから、条件設定を変更しない限り、ほぼ同じルーチンを辿って大きくなるんです。
 ですが前回前々回の栽培ではすでに収穫できる大きさになるはずのものが、同じ時間が経過しても大きくなっていないんです」

 ジェイドは困りきったように眉を下げて、大きく切り分けたハンバーグを口に入れた。スライスしたブールでそのソースをすくってそれも放り込む。硬く、噛みごたえのあるパンなのに一口だ。
 監督生は、こういうところだと思いながら、口に出さなかった。ジェイドのこういうところがなくなってしまったら怖すぎるし、恐らく本人もわかっていて楽しんでいるだろうと思うのだ。

「それで、フロイド先輩になにかちょっかいを出していないか聞いたんですね」
「ええ。キノコは嫌いだと言ってはばかりませんし。
 ほら。フロイドって面白そうってだけで、人の迷惑を考えないところがあるでしょう?」
「それはジェイド先輩も一緒ですけどね」
「おや、辛辣ですね。…でも、違ったみたいです。フロイドは自分がしたことをひた隠しにすることや、知らぬ存ぜぬの嘘に喜びや意味を見出すタイプではありませんから。
 戻らないのは自分を疑った僕への意趣返しと、単にオンボロ寮で遊ぶのに興が乗ったんでしょうね。先ほども廊下で楽しそうにリドルさんを追いかけていましたし」
「いや、リドル寮長に迷惑かけないでくださいよ。止めてください」
「おやおや」
「おやおやじゃなくて」

 はあとため息を落としてジェイドに奢ってもらったステーキのセットに手を付ける。単に一番高かったという理由で選んだが、要するに量も多いのである。男子校だし。
 肉やら付け合せのポテトやらを持て余してしまい、隣の座席に寝かせたグリムが起きないかと横目で見てみるも、こういうときに限って起きない。仕方がないなと口に押し込もうとすると、「満腹ですか」と声がかかった。

「満腹なら、僕がいただきましょう。まだ食後の甘味もあるでしょう? 女性には多い量だと思いますし、無理やり食べるぐらいなら、僕がいただきます」
「…なら、お願いします」

 自分の食べかけだとか、多い量だと思って止めなかったのかとか、甘味を楽しみにしていることがなぜバレているのかだとか、言いたいことや聞きたいことはいくつかあったけれど、恐らく理路整然と説明されるだけなので監督生は黙った。中途半端な量のステーキが載った皿もジェイドは喜々として引き寄せる。

「…とりあえず、植物園のキノコ栽培室を見に行っていいですか」
「解決にご協力いただけるので?」
「私にわかるとは思いませんが、たぶん今日の放課後もグリムとフロイド先輩が騒ぐので、寮にいるよりはマシかと」
「なるほど」

 ご迷惑かけますと言ったジェイドの顔はまったくそう思ってないことがどう見てもわかる、本当に楽しそうな笑顔だった。
 監督生はなんとなくむしゃくしゃとして、グリムをたたき起こし、自分の残したステーキとポテトをグリムに食べさせた。まだ足りないというので、そのままジェイドの支払いで好きなものを取りに行かせたのだが、ジェイドは周囲を汚しながら食べるグリムをにこにこ楽しそうに見つめるだけだったので、監督生は自分の意趣返しも失敗に終わったことを悟った。

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