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五、比翼連理の葉羽


 風呂を使って夜半に自室の前まで戻ると、そこで着流しを着た雑渡が雨戸を開けて、じっと庭先を見ていた。今日は雪が降ってはおらぬとは言え、この時間にこんな風の吹き付ける場所にいたのでは体が冷えてしまう。

「火鉢でも用意させましょうか」
「実は、懐に行火(あんか)を抱いている」
「それは、ようございました」

 雑渡がこんなところにいるということは、何か話があるのだろう。向こうの広間では村の者が集まってきて、宴会が開かれていた。彼女が間者に屈することなく村に残った暁には、きっとやろうと皆で言い合っていたのだ、と言われて何だか座りが悪かった。

「私は村の者にはものすごく嫌われていてね」
「そんなことはないと思いますが」
「まあ、聞きなさい。どれだけ言っても忍軍の配下たちは私のために命も惜しみませぬと言って聞かない。
 だから村の家族たちは心配でたまらないのだ、そうして命を投げ打つことを是として、私のためにと死ぬことを誉とでもするのではないか、と。
 だから、先ほどのあなたの大演説を聞いて、忍軍の彼らは少しだけ、居心地の悪そうな顔をしていた」
「はあ…………」
「君でよかった、と思っている」

 衒いもなくそんなことを言われて、彼女は何と言っていいのかわからなかった。

「賢いあなたのことだから理解しているとは思うが、村の退役組と忍軍、そしてタソガレドキ本軍の手前、あなたを真実この村の、私の嫁として迎えるには何がしか、試しが必要だった」
「承知しております」
「だから、あんな風に君を傷つける者をここまで引き入れて騙すような真似をして、申し訳なかった、と思っている」
「…………」

 そう言って庭先から彼女に向き直り、頭を下げた雑渡に、彼女はやはり何を言っていいかわからず、頭巾をしていない雑渡の髪のつむじを、じっと見た。
 ざわ、と風が吹いた。冷たい風は湯上りの彼女の体を撫で、懐にまで入って芯から寒からしめていく。小さく震えた彼女に、雑渡は薄く微笑んで自分の抱いていた行火を彼女の膝に乗せた。

「私は、雑渡様が何を考えていらっしゃるのか、わかりませぬ」

 そう言って、自分に行火を抱かせて手放そうとする雑渡の手を取り、同じく膝の上の行火に手を当てさせる。雑渡の手のひらは自分のものよりも一回りも、二回りも大きく、骨が太くがっしりとしていた。

「私は、……君の。私の妻の喜びそうなことがとんとわからなくて、いつも困っている」
「…………」
「花を贈っても、小間物を差し上げてもどれも同じように微笑んでくれるが、一国の姫だった人がそんなものも見慣れているだろうと思う。
 もっと何か、と思うが私にはそれがわからなくて、君が好きそうなものを知らないので、困っている」
「……もう少し」

 膝の上の行火に互いの手を当てたまま、彼女は小さく言った。雑渡の大きな手のひらに、骨ばって堅い指に、自分の頼りない指を絡める。雑渡は手を引きはせず、されるままになっていた。

「折角忍んでこられたのであれば、もう少し長くお話がしたいですし、帰られるときは何も言わずではなく、行ってらっしゃいませが言いたいです。
 いただいた葱は上手に育てることができたので一緒に食べてほしいですし、私もあなたの好きな食べ物や、人や物、事の好みを教えていただきたいと思っています」
「…………」
「それから、先日乗ってらした馬捌きがとてもお上手で。……恰好ようございました。
 いつか私も、馬に乗せていただきたいものです」
「……はは」

 そこまで言うと、雑渡は行火に当てた手を互い絡めたまま、小さく笑い声を上げた。俯けていた視線を上げて雑渡を見れば、雑渡も同じく彼女を見つめていた。
 ざら、と衣擦れの音がして頬に雑渡の大きな手のひらが触れる。
 合わせた口の端はひんやりとして冷えていて、こんなところで、やはり寒かったのではないですか、と思った。
 白い雪が、ちらちらと降り始めて二人の視界を淡く、埋めていく。













 部屋にいるはずだと言われたのに、彼女の自室には姿がなかった。どこへ行ったのか、と思って「雨露子」と名を呼ぶと、庭先から「昆奈門様」と返事が聞こえる。

「何してるの」
「鳥の雛が巣から落ちてしまったようでして」

 庭先の、木の枝の上から彼女は雑渡を呼んだのであった。呆れた口ぶりで言えば、彼女は悪びれる様子もなくそんなことを言う。

「誰か、人にやらせなさいよ」
「さっと戻すだけのつもりでしたから、……きゃ、」

 話している途中にも、彼女は足を滑らせてずるりと樹上から落ちてくる。雑渡は慌ててその樹上から落ちてきた体を受け止め、彼女は雑渡に横抱きに受け止めてられてから、そろそろと目を開けた。

「君って人は……、私の寿命をこうして削り取って」
「申し訳ないとは思っております」

 そういう割に、やはり彼女にはあまり悪びれた様子はないのであった。彼女が胸元で握っていた手の中には、ふわふわとした鳥の雛が確かに顔を覗かせている。

「落ちたときに驚いて手の中に抱いてしまったから、きっともう私の、人の匂いがついてしまいましたね」
「もうそのまま、大きくなるまで君が育てたらいい。雲雀だろう、鳥籠を用意させよう」
「嬉しい、ありがとうございます」

 薄く微笑んで雑渡に言う彼女に、雑渡も同じく薄く笑った。彼女を横抱きにしているから外せないと、自分の覆面と頭巾を取るように言うと、彼女は少しだけ恥ずかしがる素振りを見せてから、雑渡の頭巾を外した。
 やわく触れるだけの口吸いをして、鼻先を擦り合わせて彼女の目の中を見る。彼女の目の中に、包帯に塗れたおどろおどろしい自分の姿が映っている。自身で見ても見目のよいものではないと思うのに、彼女は「昆奈門様は恰好いいですから」などと言って、いつも雑渡を喜ばせる。
 この女がどうにも恋しいと、思ってしまった。共に生きたいと望んでしまった。
  
 もしこの世に運命というものが存在するのであれは、雑渡昆奈門の運命は黄昏甚兵衛である。
 他人には、自分のために死んでもらっては困るなどと嘯くくせに、雑渡自身は黄昏甚兵衛のために死ぬことを厭いもしない。いつ何時も、雑渡昆奈門の命は、人生は、生きる意味は黄昏甚兵衛とこのタソガレドキのためにある。
 
 けれどもし、二番目の運命を定めることをもし許されるのならば、それはきっと。
 
 腕の中に抱いた女を見ながら、雑渡は思った。彼女は愛しいものを見る目つきで雑渡を見て、短くざんばらな雑渡の髪に指を絡めると、もう一度、鼻先を擦り合わせた。
 柔らかく寄せたその唇を吸いながら、もはや嫁に会いに、甘えに帰る他の男たちを自分も笑えないな、などと思った。
 
 遠くで雲雀の鳥が鳴いている。
 甘い風が吹き、今二人の季節はもう、春だった。












 遠くで雲雀の鳥が鳴いている。山本陣内が書面に筆先を走らせながらふと窓の外を見ると、ちょうどそこに同じく書類を抱えた押都が入ってきた。

「組頭は何処へ?」
「こんな隙間の時間にも、走って村へ帰った」
「はは、もう他の者の惚気を笑えませんな、昆奈門も」

 押都は同輩の友人の口つきで言う。今まで酒の席で惚気話が出ると雑渡はそれを聞いてにやにやと面白がっている側であったが、今後しばらくは雑渡の惚気で酒を飲むことになるのだろう。

「……知ってるか、押都。少し前に、雑渡の屋敷の庭先に畑の畝を作って、葱の苗を用意していたことがあってな、昆奈門が」
「ほお」
「どうして花や他の野菜ではなく、葱なのかと聞いたら、昔に好んで食べていた記憶があると」

 陣内はこみ上げる笑いを噛み殺し、雑面の向こうの押都の顔を見た。恐らく彼も、耐えきれないと笑っていることだろう。
 
「雨露子様に聞いたら、確かに十になる前に好きだと言ってよく食べていた時期が、少しあると。
 けれどこの幼少の頃のことなど、聞かれて始めて思い出しました、と。不思議そうな顔をしておられた」
「はは、のない」

 押都は声を上げて笑い、持っていた書類を雑渡の文机の上に置いた。彼女が来て、村の内政は彼女が引き受けてくれるお陰で雑渡の仕事は減ったのだが、その時間に村に忍んでいっているので、あまり意味がない。
 でも、それでいいのだ、とも思う。

「散々っぱら、私の嫁への態度を鼻で笑ったくせに、いざ自分が嫁を取るとあの通りだ」

 見つかると照れ臭いからと雑渡は自分の屋敷へ戻るにも隠れているつもりのようだが、クソ餓鬼の面倒を幼少から見続けた陣内を、そんな簡単に騙せるものか、と思う。
 惚れたから連れてきたのだろう、と言ったときの雑渡の顔が忘れられない。陣内は事実、彼女のああいう人柄に惚れ込んで、男とか女とかは関係なく連れてきたのだろうと思って言ったのだが、その言葉で雑渡は全く別の、自身の中に抱えていた感情に気がついてしまったらしい。
 生きるとは、人生とはいつ何時も何か起きるかわからないものだな、と陣内は晴れた春の空を見て思った。
 
 押都は静かに自分の机について、仕事を始めたようだった。陣内も同じく筆をもう一度取りながら、思う。
 どうかいつまでも、父にこの世に置いて行かれた子どもが、人の命を背負うなどしたくないと苦く言ったあの子どもが、この先も決して一人きりなどではなく、同じ視座で視野で一緒に未来を見ることのできる人と。長く、幸せに暮らして欲しい。そう思って、願っている。
 密やかな兄の願いにまるで答えるかのように、外で雲雀の鳥が高くたかく、鳴いている。






―了―







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