前回読んだ位置に戻りますか?

この先、性的表現を含みます。高校生を含む18歳未満の閲覧は固くお断りしています。
あなたは18歳以上ですか?

一、仮称として名を申しますならば


1.

 気まぐれ、であった。
 狼隊の仕掛けた時限式の発火装置は狙いを外さず、屋敷の者たちがみな寝静まった夜半に炎を起こした。じわじわと火は燃えて広がり、赤赤と景色を焼いていく。
 戦時下だというのに丁寧に整えられた庭も、邸宅も、屋敷に住む人々の生活も。

 夜闇の中にじっと馴染んで佇んでいた雑渡は、ふと、一年ほど前のことを思い起こして屈みこんでいた樹上から身を起こした。

「どうされましたか」
「少し、出てくるよ」
「付きましょうか」
「いや、いい」

 口の中に『私事である』という言葉は残したが、狼隊小頭の山本陣内は雑渡の言いぶりを見てそれ以上の追及をやめ、「お気をつけて」と短く言う。
 二十年も三十年も自身に付き添っている男に、雑渡は薄く心のうちを見透かされている。ありがたいことであると、雑渡はほのかに覆面の下で笑った。
 樹上から燃える邸宅へ降りていき、煤くさい、きな臭いの中を進んでいく。火の回りは遅くないが、まだこの辺りは持つだろう。そういう計算をして、屋敷を火にかけたのだ。
 燃える庭を抜け、離れとされた一角までを進んでいく。以前にここに忍び込んだときも、似たような経路であったと赤赤と燃える火を見ながら、思った。
 あのときも、まるで燃えるような夕暮れの日であった。

か」

 音もなく入り込んだ室の端で、しかし誰何する声があった。寝襦袢の上に冴えた色の派手な羽織をはおった女は短刀を右手に持ちながら、赤赤と燃える火と、流れてくる煤っぽい、何もかもが焼けていく臭いの中でじっと雑渡の影を見ていた。

「……曲者にて、ござりまする」
「私を殺しにでも来たか」
「場合によっては」

 雑渡と、この炎の中でも眼差しを変えない女との出会いは一年ほど前、女の縁組を破談にしたときであった。
 彼女は西方の商人の元へ嫁ぐ手筈だったが、硝石の伝手を他の領が手に入れることを気に食わぬ、黄昏甚兵衛が策を弄した。表立って彼女の嫁入り話をタソガレドキが潰しては、今は損なうわけにはいかないこの領との関係に傷が入る。しかし、縁組は阻止したい。
 そこで雑渡がこの城の彼女の元に忍び込み、彼女を唆して縁談が破談になるように仕向けたのだ。具体的には、他に忍び込んでいた敵国の忍びへと彼女の縁組の情報を流した。

 タソガレドキの策はうまく運び、彼女の縁組はタソガレドキとは関係のない筋からの邪魔が入り破談になり、黄昏甚兵衛は表向きにはこの領との友好関係を続けながら、じわじわと水際を責めた。
 そして今日、『不審火』によってこの領の城主と、その家族一党は焼け死ぬことになる。
 領地については隣国の盟友として互いに友好関係を築いていた黄昏甚兵衛が、導き手の亡くなった国の行く末を憂い、自身が領を預かり民が植えぬように、国が荒れぬように取り図ろうと。
 そうやって静かな国盗りが行われる手筈なのである。

「あなただけは、この有事に我が領が絡んでいると御存知でございます故」
「心配せずとも、死ぬわ」

 赤赤と光る炎に炙られながら、目の前の女は静かな眼差しの色味で言った。横の侍女が彼女の着物の袖を握って、強く彼女を睨む。彼女はその侍女をしらじらとした目で見た。

「なりませぬ! 姫様まで身罷られれば、誰がこの国の跡を継ぎます」
「誰も。この国は、領地は既に甚兵衛の物よ」
「なりませぬ!」

 侍女は強く言って、それからキっと雑渡を見た。雑渡は白く、その目線を受け止める。

「お前が責任を取られよ!」
「はぁ……」
「お前のような乱波めが、姫様を誑かしたのだ! お前が責任を取って、姫様をお助けせよ!」

 無茶苦茶を言う、と雑渡は思った。雑渡が今ここにいるのは、この死に行く国の姫である、彼女の絶命を確認するためである。

「あなたはそう言いますが、私は私の上司から彼女の絶命を確認するように言いつかっているのです。
 後に燃えるような火種は残しておけません。姫の亡骸が見つからなければ、その希望を旗印として忠臣たちもまとまりましょう」
死骸があれば良いのだな」

 侍女は短く言って、近くでまだ燃え残っていた行灯に近づいた。「やめよ」と姫は薄く言ったが、誰よりも今、その侍女の目線がこの場で力強かった。

「姫様、あなたは生きなければなりませぬ。生きて生きて生きて、お国のためにと生きませよ」

 諦めたような視線で茫洋と自分を見る姫に、侍女は、言いつけるようにそう言い切ると、行灯の中に残っていた油を被った。それが彼女の着物に火をつけて、ぼうぼうと燃えていく。
 聞くには堪えぬ、怨嗟のような悲鳴がした。雑渡は火塗れになって転げるように踊る女をしらっと見てから、姫を見た。彼女もまた、なんだかしらっとした顔をして、その絶命の様を見ている。

「どう致しますか」
「聞かれるのか」

 彼女は死に行く女のその滑稽な火踊りを見ながら、ぼんやりとした、疲れたような声音で言った。

あれがこうして死んでしまったからには、私はお前に、命乞いをするしかあるまいよ」
「ほう」

 口の中で、ふうん、と思った。
 彼女は、ここでこそ死ぬと思っていたというのに、侍女がああして死体を残すために火達磨になったのであれば、その意味を掬い取ろうというのか。死の際にあってもなんとも、責の意識の強い姫君である。

「燃えにくい、金物の装身具などはありますか」
「珊瑚の櫛であれば」
「良いでしょう」

 彼女が懐から細かい彫り物のされた珊瑚の櫛を取り出す。随分いい品であったので、彼女の母か祖母かから受け継いできたものなのかもしれない。彼女が差し出したその珊瑚の櫛を受け取ると、雑渡はもう悲鳴もなく燃えていくだけになった侍女の遺骸の脇にそれを放った。
 これから、この場所は崩れていくだろうから、先んじて漆喰で塗った壁を幾らか剥がしそれを侍女の燃えがらの上にかぶせておく。見る者が見れば工作の跡とわかるだろうが、「見れる者」は既に自分たちタソガレドキの手の者が、もう炎の中にくべてしまっただろう。

「まさかとは思いますが、私を連れ出すおつもりですか」

 彼女は信じられない、という顔をして雑渡を見た。炎の熱風に煽られ、彼女の髪は乱れて羽織った派手な柄の羽織の胸元は開いてしまっている。晒しさえ巻いていない、彼女のそこそこに豊満な胸元は、彼女が不自由なく育ってきたことの証であった。
 彼女は愚かな女であるが、馬鹿な女ではない。そう思って雑渡は、覆面の下で薄くだが笑った。

「そのまさか、でございます。姫」

 雑渡昆奈門は、それだけを言って断りも入れずに彼女の体に羽織を強く巻き付け、体を米俵のように抱き上げた。背中側から「ちょっと」と抗議の声が聞こえはするが、あいにく自分は耳が悪い。
 崩れ行く部屋を抜け、庭を駆けていくと見知った気配が近くからした。来なくてもいいと言ったのに、やはり近くまで来ていたらしい。心配性な兄貴分の性分は、これだからいつも割を食いやすい。

「どういうおつもりですか」
「持って帰って、殿と相談するよ」
「なぜ助けた」

 短く問うた言葉は狼隊の小頭とタソガレドキ忍軍の組頭ではなく、恩人の子とその面倒を見続けてきた兄との会話であった。

「ただの、気まぐれだよ」






2.

 タソガレドキ忍村の組頭、つまりタソガレドキ忍軍の組頭になる者は血筋が決まっている。
 タソガレドキ忍村で忍軍の基礎を作った者たち、村の者が『宗家』と呼ぶのは雑渡、山本、押都、高坂などの数家であるが、その中でも『雑渡』が忍軍組頭の血筋と昔から決まっていた。
 初めに村を作った者たちの頭目が『雑渡』の男だったから、ということらしい。
 
 雑渡の家に、分家も含めてふさわしい年齢の男児がいなければ暫時として、山本や押都などの別の家の男が中継ぎという形で組頭に就くこともあるが、それも基本は雑渡の男が成長し組頭としてふさわしい立場になるまでのことで、だから雑渡昆奈門も父や、他の雑渡主家の男たちと同じく、「お前はいずれ組頭になるのだから」と言い聞かされ続けながら育ってきた。
 幼少の頃はそれがどうにも窮屈に思えて、目付役の山本陣内をぶんぶんと上下左右に振り回し、すわ山賊か猪かというようにガラ悪く野山を駆け巡り、舶来品だという鉄砲を求めて若様だった甚兵衛の協力を得て領を抜け、堺まで足を運んで照星という鉄砲馬鹿と出会い……などしたこともあるのだが、マァ今は大人になったので、落ち着いている。
 いや、落ち着いていると思いたかった……と、陣内は四十近くにもなった大男の元クソ餓鬼を見て思った。

 雑渡が何を思ったか、始末するはずだった亡国の姫を連れ帰ったと言う話は、しめやかに黄昏甚兵衛に伝えられた。
 忍軍には組頭である雑渡配下の「隼隊」「黒鷲隊」「月輪隊」「狼隊」が存在するが、その内「黒鷲隊」「月輪隊」から優秀な者三名ずつを選出し、甚兵衛の直属の配下としている。
 忍軍全体に関わってくるような用向きは甚兵衛と雑渡との間で行われるが、それ以外の細々した雑事(末姫の癇癪がひどいから、城下で流行りの団子屋を探って参れとか)で忍軍組頭を、一々タソガレドキ本城へ呼びつけるわけにもいかない。そのため、甚兵衛の個人的な用向きと身辺警護を兼ねて忍軍全体とは別の指示系統として、甚兵衛の側付きに人員を出している。――という態になっている。
 
 なので雑渡がその娘を連れて帰ったときには、細かい事情の伝達は受けていなかった近衛の忍び達は雑渡の後ろに付いた煤塗れの姫を見て少々目を剥いたし、その後「ああやはり雑渡のクソ餓鬼様だったな……」と薄っすらと思った。
 姫君は自国を滅ぼした、盟友のはずだったタソガレドキ本城へ連れてこられてもしらっとした顔をしており、目に涙も怨嗟もない。それを見て取った近衛の忍び達は、甚兵衛の居る室に通す前に下女に言って湯を浸した布を用意させた。
 雑渡は既に甚兵衛の居る室に入ったが、いくら何でも、煤塗れの女を自分たちの殿に謁見させるわけにはいかない。

「山本殿。組頭は、何を考えておいでで?」
「……わからぬ」

 今回の任務の帯同として控えていた狼隊小頭の山本陣内に、城主付の纏め役をしている五条という男が聞くと、彼はほとほと疲れた、というように首を振った。纏め役の五条は陣内よりも少々年上の男で、長く城主付きをしてはいるが本来は黒鷲隊の所属である。
 息子と息子の嫁も彼と同じく黒鷲隊に所属しており、纏め役の五条が今のように城主付になる前は、陣内も何度も任務を共にしているため、気安い仲ではある。

「暫し外すと言われて、次にお見掛けしたときにはもうあの娘を抱えていらっしゃった。
 どうなされるおつもりかと聞いても、のらりくらりと」
「陣内殿には悪いですが、流石組頭というか、雑渡の血筋の人というか」

 五条はカラっとした笑い声で言うと、下女が持ってきた濡れ手ぬぐいを受け取って軽く見分し、廊下の脇に静かに立っていた女に渡した。

「どうぞ、お顔をお拭き下され」
「どうも」

 彼女は感情の薄い声音で言い、白々とした顔つきのまま手ぬぐいで顔を拭った。どうにも、確かに顔の綺麗な娘ではある。一年ほど前にも雑渡が黒鷲隊を連れて彼女の近辺に潜んだことがあるので、陣内もこの娘の顔を見たことぐらいはあったが、その時はもう少し表情が豊かであったように思う。
 それが今は物静かな、水の冷えた古池のような凪いだ顔つきをしている。国を滅ぼされたからか、とも思ったが、それにしても感情が読めない。
 女が手ぬぐいでつるりと顔を拭うと、きめの細かい白い肌が露になり、こちらをじっと見上げる黒々とした目が一層際立った。彼女のその視線に何かをぐっと貫かれたような心地になり、まさかとは思うが、雑渡がこの女に惚れたわけではあるまいな……?と薄く冷や汗をかく。

「殿がお待ちです。室の中へ」

 室内で控えていた別の若い忍びに言われて、陣内は「ああ……」と緩い反応の返事をした。彼女が顔を拭い終わった手ぬぐいは纏め役の五条が受け取り、陣内と彼女はそのまま連れだって室内に入る。

「やぁ、雨露子殿。お久しゅう」
「甚兵衛様、お久しゅう御座います」

 女は煤まみれの着物の裾を優雅に払い、甚兵衛の下座に傅いて頭を下げた。和やかな、とても今しがた国を盗った者と滅ぼされた姫のやり取りとは思えぬ静かさと和やかさであった。

「もう一度あなたと見《まみ》えるとは、思いもせなんだ」
「私もにございます、甚兵衛様」

 二人の御武家人はこちらがぞっとするほど和やかに笑い合うと、陣内と同じく脇に控えていた雑渡へ目を向けた。

「して、何ゆえ雨露子殿をここまでお連れした。雑渡よ」
「は」
「儂は、浅賀の血筋の者は全て根絶やしにせよと言いつけたはずだが?」

 皆殺しを命じたことを、その一族の娘の前でも白々と話す甚兵衛に、陣内は着物の背中の地が肌に貼りつくのを薄っすら感じだ。じっとりとした冷や汗脂汗が、頭巾の中で蒸れている。
 横目で見た雑渡はそんなことは露もなく、と言った顔つきで、同じく白々と甚兵衛を見返していた。

「恐れながら甚兵衛様、私の目の前でこの者の侍女が『姫御前様のため』と言って命を投げ打ち自身の衣に火を点け、火達磨になって死にました」
「ほお」
「火達磨になった侍女は事前の調べでは四十そこらの女で、まだ幼い子もいる。
 その侍女の体を火が焼いて燃えていくまでの絶命の絶叫は聞くに堪えぬものでございましたが、侍女は一度も私への命乞いも斬り捨て乞いも、姫への恨みも申さず、役目を全うして果てたのでございます」
 
 甚兵衛は、雑渡の言を黙って聞いていた。

「主君の命を自身の命を以てして守ろうとするその忠臣の心、誠に天晴と思いまして御座いまする。
 某も乱波者と言えど殿に万一のことがあれば同じことをします故、……情が、湧きました」
「ぬかせ」

 甚兵衛はすげない口調でそう言ったが、口調の端は少し笑っていた。

「雨露子殿よ、この雑渡めの妄言をどう思われる?」
「私は死に行く国の者故、甚兵衛様に申せる口など御座いませぬが、ただこちらの雑渡様の御心を動かせたのであれば、お絹の――あの侍女の命も無駄ではなかったのだ、と思っております」
「どうされる、生きられるか?」
「甚兵衛様の御心のままに。されど、もし適うのであれば――」

 彼女はそこまでを言い、一度言葉を切った。垂れていた首(こうべ)を上げ、ゆるりと甚兵衛を見る。

「配下の投げた命を無為にするわけには、参りませぬ」

 彼女はそう、自身の命を握った黄昏甚兵衛を見て、はっきりと言い切った。強い、強い瞳の色であった。甚兵衛も同じくその女の瞳の色を見、そのまま「わはは」と大声を出して笑う。

「昔から思っておったが、本当に気の強い娘っ子よ。
 ……わかった、浅賀は儂が滅ぼしたとは言え、そなたの父とはよい友人でもあった。亡き友人の忘れ形見として、あなたの命を受け取ろう。
 が。万一国を盗り返されては、敵わぬ。血筋として浅賀の子を残すわけにはいかぬ」

 そこまでを言って、甚兵衛は発言後は静かに脇に控えていた雑渡を横目でちらりと見た。その視線に、陣内は嫌な予感がして思わず口を開きかける。しかしそれよりも、甚兵衛の言のほうが早かった。

「雑渡、お前がこの娘を娶れ。
 お前は先の大火傷から種なしじゃろ、万一姫が子を孕めばすぐに不貞とわかる。ちょうど良い」
「…………お言葉ながら、殿。見合うには二人の年が、かなり離れておりまする」
「陣内、お前そんな些事を気にするか? 近頃は多様性の時代ぞ、十や二十の年の違いなど、取るに足りぬ」

 甚兵衛に馬鹿にしたようにあっさりと言われてしまえば、陣内もそれ以上を言うわけにはいかなかった。再度横目で雑渡を見れば、どういう感情なのかわからぬ顔つきをしている。
 件の雑渡の内心としては「そうきたかぁ~…」であった。このまま甚兵衛の娘か姪御として囲うか、どこかの後家への嫁にしてくれれば、と思っていたのだがまさか自分にお鉢が回ってくるとは、些か検討外であった。

「……かしこまりました」

 嫌々、とならぬように気を付けながら雑渡が頭を下げると、甚兵衛は満足そうに頷いた。

「なにせ、お前が連れてきたのだ。連れてきた者が、責任を持って面倒を見んとなぁ。のう、雨露子殿」
「……はぁ」

 まさかここで、奇しくもあの侍女と似た意味合いの言葉を言われるとは思いもしなかった。
 「責任を取れ!」とは、雑渡昆奈門の人生の中で他人から吐かれた文句の中でも、かなり上位に位置する文言である。つまり、よく言われる。
 少し向こうの山本陣内の、押し殺しきれなかった溜息が薄っすらと、聞こえた気がした。






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