二、黎明前夜
彼女も所属としては弾と同じ黒鷲隊に所属しており、二人の直属の上司は黒鷲隊小頭の押都である。
それを、組頭である雑渡からの呼び出しだ、と言って呼ばれたのだから、大きな任か、もしくは任務以外の用向きだと察するには、十分であった。
長期で諸国巡りをした後、彼女は静養と他の黒鷲隊の忍びとの懇親もかねて、少し村で休暇を取る。基本は小頭に付いて仕事をしている弾も、その押都が村に戻っていたのでそのとき同じく村に滞在していた。
村中央の黒鷲隊の詰め所でマキビシ作りの手伝いをしながら反屋や椎良たちと談笑していた弾と彼女は、その呼び出しを受けて、何だろうと顔を見合わせる。反屋と椎良は「ついに来たか」というような表情をし、二人で苦々と、手で顔を覆っていた。
結論から言えば、縁組の話であった。
「いい加減に、さっさと嫁入りなり婿入りなりしちゃいなさい。お前たち、もういい年なんだし」
挨拶もそこそこに、村に戻ってきていた雑渡に言われて、はぁ、と胡乱な返事しかできない。雑渡の屋敷には山本も、押都も同席しており、雑渡と同じく呆れたような顔をしている。
「はぁ。でも父にも何も言っていませんし、そもそも許可を取ろうにも、どこの海をほっつき歩いているかもわかりませんし」
「常磐津殿からは、お前が九つの時に『縁組はよき時によきように』と許しをいただいている。
五条殿からも、先ほど許可をいただいてきた。『ご随意に』とのことだ」
「はぁ」
自分たちの父と雑渡がそんな話をしていたなんて、露ほども知らなかった。ますます弾と彼女が胡乱な返事をすると、雑渡は大きく息を落とした。
「もうね、頼むから身を固めて早くおじさん達を安心させて。お前たちの小頭してる長烈なんか、どれだけ気を揉んでると思うの」
「組頭」
槍玉に上げられた押都が、雑渡を咎める声をあげる。弾はようやくぼんやりと、彼女と世帯を持て、と言われているのだな、などと遅まきながら理解した。
「五条殿には明日の夜には一度村にお戻りいただけるように、甚兵衛様にもお願いしてきたから。
今後の日取りは明後日以降に共に決めよう。いいね」
そうして、やいのやいのと主に雑渡に言われ放題に言われて、その後雑渡の屋敷を辞すと既に日が傾きかけていた。今から黒鷲隊の詰め所に戻っても、皆帰り支度を始める頃だろう。
タソガレドキの忍者はみな仕事熱心だが、村に帰ってきたときぐらいは日暮れ前には家に帰り、家族と過ごす。普段はタソガレドキの本城に詰めていたり、任務で別の土地に赴いていたりで、この忍村で過ごすこと自体はさほど多くないのだ。
「……ねえ弾。
結局、身を固める、婿入り嫁入りする、世帯持ちになるって、具体的に何をすればいいの」
「俺にもわからん」
帰り道、途方に暮れたようにしょぼしょぼと彼女が聞くが、正直なところ弾にも何もかもわかっていなかった。隊の同輩や先輩に嫁を取った人がいないわけではなかったが、彼らは一体何をどうやって嫁取りとしたのだろうか。聞いておけばよかった。
「とりあえず、明日の夜にはうちの父が戻るそうだから、その時に手筈を整えるんだろう」
「弾が婿に来るの、私が嫁に行くの?」
「わからん、親父に聞こう」
ぐだぐだと言いながら、道を辿って家まで帰る。彼女の家もさすがに掃除をして暮らせるような状態になったので、別々に帰ればいいのだが、なんだかんだと一緒に食事をすることも多い。なのでとりあえず二人は、常磐津の家に帰った。
反屋の小母さんに分けてもらった山菜を天ぷらにでもしようと思ったからだ。料理は弾の父より彼女の父、常磐津のほうが上手かったので、調理器具はどちらかと言えば常磐津の家のほうが揃っている。
その山菜を揚げて飯を食べ、村共有の風呂に入って二人で家に戻ってから、弾ははたと思った。彼女と世帯を持つとは、今の状態と何が違うのだろうか。
そう聞くと、彼女もきょとんとした顔で弾を見た。
「確かに……。反屋たちの家族も一緒にご飯食べてお風呂に行って、一緒の家で寝てるだけ……」
「なら、今のままでも変わらなくないか」
押都が聞いたらいい加減にしろとぶん殴りそうな程ぼやけたことを、弾は易々と口にする。
二人のこういうところを押都や他の大人はヤキモキしながら見ていたわけだが、肝心の二人がそれを理解しているなら現状に至ってはいない。
「……でも、夫婦は子どもを作るよ」
しかし、ややあって彼女が言った。弾は驚いて、彼女を見る。彼女はしんと冷えた目をして、弾を見ていた。
「弾に嫁入りしたら、私は弾の子を産むんだ」
弾は無自覚に、彼女の薄っぺらい腹を見た。元々の出身地が違うからか、彼女は村の女の中でも胸も尻も張ったほうの体型で、代わりに腰やら腹やらは驚くほど細い。
彼女が外に出るという話を聞いたときのことを、今でも覚えている。
タソガレドキ忍軍は入るにはそこそこに易く、逆に出るには難い。味方だとわかればどんな生い立ちの者でも受け入れるが、裏切り者だとか、タソガレドキの利にならず別の領の利になるとわかった者は、驚くほど呆気なく始末される。
だから領の外に出たければ、領の外でタソガレドキの利になるような仕事をする必要があった。交易に出るとかその伝手を見つけに行くとか、もしくは、他領の情報を拾い集める、とか。
忍村の子どもたちはみな十ほどの年になると集められ、忍びになるための教育を一通りされる。見込みがあるものはそのまま忍軍へ入るために忍びの修行を続けるし、見込みのない者はその後忍村の中で仕事に就く。
例え忍村であろうと、村には村の中で田畑の面倒を見る者が必要だし、忍軍で使う道具を拵える者もいる。また村の外れには忍軍の任務で怪我や病を得た者の療養所もあるため、そこで働く者もいた。
彼女も弾も、運が良くも悪くも、忍びとしての適正があった。幼い頃から他人の顔色を伺って生きてきたため、目端が効くのだ。
宗家や、忍軍の中でも役職持ちの家は幼い頃から自分の子どもに忍びとしての修行をつけるので、大抵そのまま忍びになるのだが、弾も彼女も、父親は基本的に不在にしていたため誰かに忍びとしてのいろはを教わっていたわけではない。
それがそういう、幼い頃から仕込まれた他の子どもと同じように「適正あり」と言われたのだから、それは紛れもなく二人の持った資質であった。
特に彼女は、女の子(めのこ)で適正ありと判断されることはそこそこに珍しく、しかも彼女の父親も黒鷲隊に所属する既に優秀な忍びだったため、押都からも期待をかけて育てられていた。
十一か、十二の歳までは同じように黒鷲隊に所属すべく、弾と彼女と反屋と椎良。四人で忍者の勉強に励んでいたが、弾の背丈が彼女の背丈を越し、彼女の乳房が目に見えて膨らみ始めた頃に、彼女は別になって勉強をするようになった。
それでも、家に帰れば近くに彼女はいるのだが、その頃から彼女はどうにも弾に話さない内容が増えたようにそのときから思っていた。今思えば、きっと彼女は房中術の訓練を始めたのだった。
色の話を、弾達が知らなかった訳ではない。
しかし青臭い子どもにとって、そういう色事の話は先輩からただ聞くだけの猥談で、男たちの親睦を深めるための公然の秘密で、自分の身近にあるものではなかったのだ。
「体が冷えて、寒くて、腹が痛い」なんて泣く彼女の腹に手をやって温めていたときさえあったのに、弾は彼女に初潮があるということがどういう意味なのか。まるでわかっていなかったし、数年年上の先輩が「常磐津の娘の具合はどうだ」とにやつきながら笑うことの本当の意味を、欠片さえ、理解していなかった。
それをやっと理解したのは、十五の頃、彼女が領を出て白拍子に扮し、父親と共に外での情報拾いの任に就いた、と聞いたときだった。しかもゆくゆくは父から諸国巡りの任を引き継ぎ、その後は一人で回るようになるらしい。
弾はそのとき既に黒鷲隊の新入りとして働いており、村へ帰ることも少なく、彼女の顔さえ見れていなかった。死んではいないだろうと思っていたが、まさかそんな危険な任を受けて外に出るほどに、信頼を得ているとも思っていなかった。
彼女がその任に就いたと聞いたのは、既に彼女がタソガレドキを発って幾らかが経った後で、弾はそのときにようやく理解したのだ。
ようは彼女が色を、女を武器にして世を渡りこのタソガレドキに帰ってこれると、押都が判断したということ。つまるところ、誰かが彼女を抱いてその判断をしたのだ。そしてそれは一度や二度となどではなく、恐らく何度も、何度も。
外へ出ることを選んだのだ、と弾は悟った。彼女は女という性別さえ武器にして、タソガレドキの領から出て自由に外へ行くことを選んだ。
そのときになって、ようやく理解した。彼女は女だった。誰がどう見ても、他の男を誘えるようなそういう魅力を持った女で、だから先輩たちは弾ににやけた顔つきで聞いたのだ。
抱き心地はどうだ、と。
知りもしなかった。
弾は彼女の肌など知らない。布団を同じくして寝たことも、腹に触れたことも、一緒に水に潜って遊んだこともある。ただそういう意味での、彼女の肌を弾は知らなかった、何一つ。
しかし、彼女はそうではない。弾以外の恐らく村の男に抱かれて、任務で通用する手管を覚えて、他の男を知っている。
その事実に喉の奥が焼けるように熱く、知らせを聞いてから自分どうやって黒鷲隊の任務をこなしたのかも、覚えていない。
ただ気づくと弾はいつの間にか彼女の、常磐津の家の前にいて、暗く閉め切られた家屋を眺めていた。獣に入り込まれないように閉められてはいるが、開かないわけではない。
つっかえを外して入り口の戸を開くと中はがらんとして火の始末もされており、誰の気配もない。その光景を見ながら、ああ多分俺は、嘘だと言ってほしくてここまできたのだ、と思った。
なあにそれ、と呆けたいつもの顔で言って、変なの、と言って弾の聞いた戯言だと。他でもない彼女に笑って、言ってほしかった。
けれど火の始末はされて常磐津の家は締め切られ、誰もいない。彼女は、もうここにいない。
自分以外の他の男に抱かれて、そして外へ、海へ行くことを、彼女は選んだのだ。
そう思って初めて、弾は漠然と彼女を抱くのは自分だ、と無垢に無為に、信じていたことを思い知った。
あの女はいつも自分のもので、弾は彼女のすべてを手に入れらるなんて、そんな浅はかな勘違いをしていた。事実、彼女の処女は弾ではない別の男によって散らされ、彼女は弾の知らぬうちに村の、タソガレドキ領の外へ出てしまっている。
愚かで浅はかで、そして弾は彼女よりも無垢で、子どもだった。
だから、生涯をかけて愛する女の、いつも手のひらを掴めないままなのだ。
弾は、自分はお前の子どもを産む、と言った目の前の女を見た。彼女の黒々とした目には、きっと自分の驚いた顔が映っているだろう。怖いの、と彼女は小さな声で聞いた。
「弾は私を抱くのが、怖いの」
「そう…かもしれない」
返しながら思わず彼女の首筋に目が行って、さっと逸らす。生唾を飲んだが、それが彼女に聞こえていないといいと、切に願った。
「弾はいつもそう。私は弾にいつ抱かれてもよかったのに、弾はいつも私から目を逸らすんだ」
傷ついたような声音で言われて、違う、と慌てて彼女を見る。彼女はなんだか泣きそうな顔をして、睨むように弾を見ていた。
「違う、…………いや、違わない。俺は、お前を見ると怖かったんだ」
「…………どうして」
心を殺したような声で、彼女が聞く。弾は口元を手で覆い、彼女の視線から少しだけ目を逸らした。視界には、風呂に入って着崩れた彼女の着物の襟がある。
暴いてみたかった。
「何もかもを無下にして無為にして、お前に手を出してしまいそうだった、いつも、いつもそうだ。
お前は知らないだろう。俺が、お前をどう思っているかなんて」
「知らないよ、弾はいつも何も、言ってくれないから」
「それは、お前だってそうだ。お前だっていつも俺に何も言わず、村を出て行って、」
思わず言い返すと、彼女は強く床を蹴って、弾の胸元へ飛び込んできた。肩を支えた手に、まだ濡れたままの彼女の髪の感触がする。
目眩がした。欲しかった女が今この手の中にいる。彼女は、真砂はじっと弾を濡れたような目で見て、「なら」と小さな声で言った。
「なら、弾が私を抱くつもりがあったんだって、今。証明してよ」
「どういう、」
「嫁入りしたら私を抱くなら、今抱いても同じでしょう」
はく、と弾は薄く息を食んだ。風呂から上がったばかりで、まだ彼女の肌はほんのりと温かい。じっとこちらを見る瞳は潤んで濡れていて、唇は紅をさしたように赤く見えた。
いいのか、とか、何を馬鹿なことを、とか。言うべき言葉はひとつも言えなかった。
今まで押し込めていたものがどっと溢れるように、弾はそのまま彼女の腰を強く抱いて、荒く口を吸った。彼女は初め驚いたようだが、その後はまるでされるままに弾の背中に腕を回し、ちゅ、じゅ、と弾が彼女を口を吸って、性急に舌を差し込んでその口内をかき回すことに、ひとつさえ抵抗してくれない。
「ん、ぁ、ふ、」
「んぅ、ン、弾、…だんっ、ハ、ふ、」
「ッ、じゅ、ふ、ン、」
一度でも手を出せば、こうなるとわかっていた。彼女の濡れ髪に指を絡めて、離れられないように後ろ頭に手をやる。吸った唇も飲み込んだ唾液も驚くほど甘く、絡めた舌からはびりびりとした快楽が痺れるみたいに脳味噌を焼いた。
彼女はそのまましがみ付くように弾の背中に腕を回し、弾は彼女の腰と掴んだ頭を離さないので、彼女の乳房が自分の胸元に押し付けられて、潰れている感触がする。じゅ、じゅる、とあまりにもな音を立てて一度口を離すと、彼女は溶けた目で弾を見ていた。
は、と熱く息を吐いて、そのままもう一度口を吸う。酸欠で腕の力の抜けかけた彼女が、背中に回していた腕で力なく、弾の着物の裾を握った。
「……、はっ、弾、いき、できな、い」
「……あ、悪い」
苦しそうに胸を叩かれて、ようやく掴んでいた頭を離す。彼女は顔を赤くして、じっとりと弾を見た。その頬に張り付いた、濡れ髪を指先でそっと払う。
欲しかった、暴きたかった。このいつもぼんやりとして、弾が見てないとすぐに池に飛び込んで泳ぎに行ってしまって、そのくせ弾が迎えに行けないときはそういう無茶なことをしない。
甘えられているとわかっていたし、甘やかしているとわかっていた。
だからこの馬鹿な女の、肌を、体を奥の奥まで暴いて、どれだけ自分がお前に狂って愛して、お前の何もかもを欲しがって欲深く愚かな感情を、妄執を、どす黒い恋情を、馬鹿な男の愛を、抱いているのか。わかってほしかった。
他でもない、彼女に。
「すきだ、ずっと」
着物の襟をずらして、荒く彼女の背を抱き締める。あらわになった首筋に、強く強く吸い付いた。じゅ、と鈍い音がして、強く肌を吸った傷の痕が赤く付く。きっと後から、押都に叱られるだろう。
タソガレドキ忍者の、彼女という大事な商売道具に、傷をつけた。
「ずっとずっと、子どものときから、お前が好きだった」
そのまま床に彼女を押して倒して、帯を引いて解く。彼女は薄っすらと泣きそうな顔をして、目元を赤らめて弾を見ていた。まるで恥じらうようなその表情に、これも押都に仕込まれた女なのかもしれないという思いと、それでもいいからこいつを抱いて、俺のこの行き場のない心を押し付けて抱いて潰してしまいたいという欲とが、渦のようにせめぎ合う。
もう、どちらでもよかった。
「……私も、弾が好き、ずっと」
泣きそうな顔で言った彼女の告白は、そのまま弾の口内へ吸い込まれた。
煽られた男が煽った女にすることなんて、この先ひとつしか、ない。
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