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1. 謎めくあなた

 日差しの中の動物園は賑々しく、白く乾いたように目に映る。地面のコンクリートも空もからりとして、水気が感じられない。木陰から青空を見ていると、濃い青色に押しつぶされそうだった。
 少し向こうのライオンの檻の前にはたくさんの親子連れがたてがみの優美な獣を見ようと背伸びしている。それを尻目にひんやりとした鳥類館へ入ると、気温や光量が相まって別世界のようだった。隣の人が少しだけ息をついたのがわかる。ちらりと見上げれば、にこりと好青年らしく笑いかけてくるので、少し気恥ずかしい。ライオンの檻で餌やりのイベントをしているので鳥類館の中には人気も少なく、閑散と感じられた。
 するりと隣の沖矢氏が腰に手を回した。その手のひらの熱がじんわりと体に染みるような感覚がして、ひどく恥ずかしい。まるで自分が淫乱な女に思えて、俯いてしまった。沖矢氏はそんなわたしの様子にも構うことなく腰を抱き、軽やかにエスコートをしてくる。回された手のひらは分厚く、力強く、わたしはいつも勝つことができない。

 目的の展示はかなり奥まった場所で、ガラス越しに対面した『オニノトリ』はすっかり元気そうに展示室内を歩き回っている。『オニノトリ』―ジャノメドリは南米由来の鳥なのでこの時期は野外でも生活できるだろうが、日本の寒冷期には適していない。先日わたしが捕獲したジャノメドリは検疫の関係から祖国に帰ることができず、日本の動物園で保護されることになった。元の生活環境に似せて作られた展示室内を悠々歩き回っている鳥は、周りに自分たち以外の人影がないこともあり、泰然として見える。ここに連れてこられた経緯から大体的な宣伝はしてないので、注目して見る客が少ないこともあるだろう。威嚇のために羽を広げてみせなければ、ごくごく地味な鳥に見えるのだ。

「よかったですね、随分元気そうだ」
「はい。麻酔薬の後遺症もないそうで、安心しました。人を怖がる気配もあまりないようですので、しばらくはこの動物園で暮らすことになるんでしょう」

 にこりと笑いかけてくる沖矢氏に、頷く。先日の事件で美術館オーナーの襲撃犯に追いかけられていたジャノメドリは東都の動物園で保護される運びとなり、一般展示を開始したと案内をもらったので、見に来たのだ。施設側の好意で招待券を数枚いただいたので、コナンくんや哀ちゃん、大叔父や子どもたちも一緒だ。

「そろそろ戻りましょう。ライオンのイベントも終わる頃ですし、合流しないと」
「そうですね」

 腕時計を見て沖矢氏にそう話しかけると、彼も頷く。だが動こうとしない彼を不審に思って見上げると、じっとこちらを見ていた。かち合った視線に思わず目を逸らしてしまう。

「今日の服装、とても素敵です。あなたがそういった服装をされることをあまり見たことがありませんし……。新鮮に見えますね」
「あ、ありがとうございます…」

 沖矢氏と関係を持ってから初めての外出だったので、せっかくだからと思ってついうっかり、普段は着ないようなワンピースを買い込んでしまった。買ってしまったのだから着ないともったいないと言い訳をしていたのだが、隣でにこにこしている男は本当に抜け目がない。普段と雰囲気の違う服装や化粧や髪型に気づいて、きっちりと口に出してくる。むしろこちらが気恥ずかしくなってしまう。こういうところが典型的に『いい恋人』なのだ。
 腰に回されていた手がするりとわたしの左手を取る。皮膚の感触を楽しむように手の甲を撫でられて、肩が揺れるのを沖矢氏は笑って見ている。意地の悪い目線だった。

「彼らのところに戻るまでの間だけです、このままでもいいでしょう?」

 目を細めて聞く彼の意地悪な問いに、わたしはなす術もなく頷く。周りに人気がないわけではなく、ちらほらと他人の目はあるのだが、どうせ他人だ。恥ずかしいのは今だけだと自分に言い聞かせて、沖矢氏がわたしの手のひらを弄ぶのに任せる。彼はいつもそうだ。問いかけるくせに、頷く以外ないような聞き方をしてくる。わたしはいつもそれに引っかかって、頷いてしまうのだ。
 数週間ぶりに触れた彼の手は熱くて、夜深くにベッドで触れられた記憶がありありと蘇ってくる。彼は意味ありげな触れ方でわたしの肌を楽しみ、眼差しを送ってくるくせに、……ああどういうことなのだろう! あれからわたしたちは一度も、肌を重ねていない。
 ――つまり、セックスしていないのだ。






 最初は、なしくずし的に始まった関係に対する彼なりのけじめのつもりなのかと思っていた。確かに隣家に居候している彼のところに易々と上がり込むのはモラルに欠けるとわたしも思ったし、隣家の方々とも交流や面識のある身としては一度きりの過ちでも申し訳なさが募る。一度目の過ちは過ちとしても、今後の関係に継続に際して、その辺りに配慮と分別のある沖矢氏には同じ価値観の持ち主として、安心さえ感じている。
 そしてわたしはと言えば、地元では一人暮らしだが大叔父の家では同じく居候の身である。沖矢氏を連れ込むなんて、外聞も恥もないことは難しい。というか、そんな意気地はわたしにはない。
 ならばと思い、それとなく二人での外出を沖矢氏に数度打診したのだが、全て『それは仕方ないよね』と納得するしかない理由を出されて、断られた。そしてやってきたのが今日の機会、実に一ヶ月ぶりのお出かけなのである。コナンくんやら大叔父やら、身内つきだったとしてもだ。それは浮き足立って普段着ないワンピースも買うだろう。許してほしい。とまあ、そんな経緯なわけなのだが……。

「あの、今日の夜、時間ありますか? よければどこかへ食べに行きませんか?」
「ああ、そうです。ちょうどよかった、僕もお誘いしようと思っていたところで。
 夏野菜の煮込み、ラタトゥユという料理を教えていただいて作ってみたのですが、また作りすぎてしまいまして……。帰宅後にお持ちしますので、博士や灰原さんも一緒にいかがですか?」
「わ、わー…、楽しみですう…」

 ご覧いただけただろうか……。ずっとこの調子なのだ。顔を合わせていないわけではない。二人きりの時間がないわけではない。しかしそれは常に誰かと一緒の時間で、二人きりになれても隣室に大叔父がいたり哀ちゃんがいたり。庭で少し喋ったりだとか、ともかく『そういうこと』のできる環境ではないのだ。
 セックスしたいのかといえば、それは沖矢氏のことを憎からず思っているし、そういった関係が今までなかったわけじゃなく、彼の体は既に知っているし。
 一度味を占めたものは再度味わいたいのが人間だ。あの分厚い胸に抱かれたくて、あの引き締まった腹筋に触れたくて、汗の滲む骨の浮き出た首筋に吸いつきたくてというのはごく当たり前のことだろう。そんなことないなんてそんな嘘、死んでもつけない…という心地なのである。
 だからと言って「沖矢氏セックスしましょう!」と面と向かって言える人間でもなく、匂わすことさえできないチキンぶりを呈している。

「あなたは学習ってものを知らないの?」

 こちらの新鮮・辛辣な台詞はさっさと大叔父の車へ乗り込まれた灰原哀様より。沖矢氏への罵倒で、またしてもラタトゥユを作りすぎたと言った彼に対してのご意見だが、うじうじ同じようなお誘いをしては断られてを繰り返しているわたしの身にも大変突き刺さる言葉だった。どうもありがとうございました。
 沖矢氏はそんな辛辣な言葉にも堪えた様子もなく、笑っていなしている。コナンくんも今日は蘭さんの帰りが遅いと言っていたから、こちらで食べて帰るだろう。必然的に五人での食卓となる。まあ、いいけどさぁ…。
 周りが何をどこまで知っているのか分かっていないが気を遣われたらしく、帰りの車は沖矢氏と二人だけだ。ぼやぼやと近況を話しながら大叔父のビートルの後をついて行く。時折ビートルが揺れたように見えるのは、もしかして元太くんが何かしたのだろうか。

「そういえば、来週の水曜日でしたか? 町内の花火大会があるのは」
「ああ、そうですね、水曜で案内が来ていたと思います。…しまったな、出張を入れてしまったから、今年は参加できないですね。泊まりの予定ですし」
「おや、そうなのですか?」

 はい、と頷こうとして気づいた。はたと思えば、これは外泊に誘う機会なのではないだろうか。緊張で震える指先を隠して、信号待ちをしている沖矢氏の横顔を盗み見る。

「…一緒に行きませんか? 出張先、長野なんです。
 ほら、この間ジャノメドリ捕獲の件で厚生労働省の人に褒められまして。そんなつもりはなかったんですが、上司が少々ご機嫌で、長野への出張ついでに有給休暇取って観光でもしてきたらいいと言われてまして。それならお言葉に甘えようかな、なーんて……」

 気恥ずかしくてぺらぺらと喋るのに、沖矢氏は実に申し訳なさそうに眉尻を下げる。わかる、わかってる、わかってた! だがその顔をされるのはダメージが大きい、やめてほしい。沖矢氏のその表情は本当に後悔しきりに見えて、まるで誘ったわたしが悪いように思えてくるのだ。

「大変申し訳ないのですが、論文の提出期限がせまっていまして……」
「あ、はは、デスヨネー。うん、論文デスネ、そうですよね、はい……」

 なるべくがっくりした顔をしないようににこやかに笑ったつもりだったが、あいにく沖矢氏の目にはそう映っていないらしい。さっとウインカーを出すと近くの待避所に車を停めハザードをたく。なにを、と思ったときには沖矢氏が近づいてきていた。
 さっきまで、煙草を吸っていた。鼻先から、くちびるの皮膚から、煙草の匂いとそれに混じった薄い香水の香りがする。広い手のひらがわたしの首筋を撫でる。薄く目を開ければ、皺の寄った眉間が見えた。絡まる粘膜に、舌に、腹の底がじんじんとする。それは沖矢氏も同じなようで、彼が時折吐き出す息は熱かった。これ以上したら我慢できなくなる。わたしが沖矢氏の胸をすこしだけ押すと、彼はすんなりと体を離した。目じりに滲んだ涙を沖矢氏の親指がぬぐっていく。暗がりの首都高で運転席の沖矢氏は逆光を背負っていた。瞳の色は、見えない。

「…君には、申し訳のないことをしている」
「別に。気にしていません、沖矢さん」

 それだけを言ったきり、押し黙った沖矢氏はそれ以上を話すことなく、ただ繋がれた手のひらだけがほの暖かい。関節が節だって大きく厚く、豆やたこのある、男の手のひらだった。
 彼は慰めるように触れてくるが、本当に気にしてはいない。仕方ないことだ、わたしもそう思っているから怒りもしないし、嘆きもしない。ただ、寂しいのは寂しいし、ずっと名前がわからないなと思っている。沖矢氏がどうしたいのかが、全然わからなくて困ってしまう。沖矢氏はわたしと、どうなりたいのだろう。







 友人の卯ノ木志満とは高校生時代の同級生だった。高校時代はあまり接点のないクラスメイトだったのだが、社会人になって働き始めてからたまたま再会し、そのまま交流を続けている。数ヶ月に一度ほどの頻度で食事やお茶に誘ってくれるので、わたしは毎回嬉々として出かけている。少し前に水彩画の個展に誘ってくれたのも彼女だ。わたしにとって卯ノ木という友人は、流行りものや年齢に応じた女性らしさ、ごく一般的な感覚というものの先生のような人だった。

「じゃあ、それから二人で出かけてないの?」

 わたしの近況を一通り聞いた卯ノ木は、ウワアっと気の毒なものを見るような目で見てくる。わたしはいたたまれなくなって、目をそらした。今回卯ノ木が予約した店は道路沿いの路面店で、大きなガラス窓の挟んだ目隠しの街路樹の向こうに、スカイツリーの先っぽや高層ビルが透けて見える。先日までの梅雨が嘘のような晴天ぶりに、目がくらくらとする。

「そんな男、やめたら? 後暗いところがあるんじゃないの、体だけなんて」
「いや体もあればまだよかったんだけど、二回目以降は、ね……」
「…それ、付き合ってんの?」
「いやア、はは、」

 煮え切らないわたしの返事に、卯ノ木はしらっとした目を向けてくる。丁寧にカールされた彼女のまつげが光を跳ね、ぬらりと光る。数年前から彼女と定期的に会っているが、三十を過ぎてから大人の落ち着きを身につけた卯ノ木は最近ますます美しく、磨かれたような女性だ。肌には染みもなく白く、整えられた髪にも肌にも、服装にも隙がない。わたしも人並みに努力はしているが、彼女にかなわないと思うし実際彼女は美しい。隣を歩いていると、すれ違う男性の目線がときどき彼女へ吸い込まれるのが見えて、これが美人ということなのだと実感する。

「…私も聞きたいんだけど、これって付き合ってるの?
 なんていうか、向こうは付き合ってる『テイ』で触ってくるし周りもそんな風に扱うし、でもあれから二人でどうのこうのって実際皆無だし、誘っても交わされるし……」
「なにか良からぬことのカモフラージュに使われてるんじゃないの、あなた」
「……実は。一緒に住んでる居候の女の子がいると、絶対に出張ってくるんだ」
「当たりじゃないの、ロリコンよ。別れなさいよ」
「いやそもそも付き合ってるかどうかもよくわかってないのに、別れるって……」

 どうするの、と言葉を飲み込んでクリームソーダを啜った。いやに高発色な青いソーダ水だが味は普通の炭酸ジュースと大きな違いはなく、アイスは口の中で溶けていく。彼女が飲んでみたいと言ったのだから、流行っているのだろうか。大人しく写真を撮ったので、帰ったら哀ちゃんに聞いてみようと思う。

「でもロリコンなら、なんでわたしといちゃついてエッチしたの」
「知らないわよ、そういう性癖じゃないの」
「怖ッ、怖いこと言わないで、そこそこイケメンなのその人。そんなこと言われたら、死ぬほど怖い。
 顔のいい人がそんな歪んだ性癖なのは、何かのサイコパス映画みたいで怖すぎる」
「顔がいいって…前一度見かけた東都大の院生だっけ? まァ、頭のいい奴は大抵狂ってる部分があるっていうし。
 犬に噛まれたとでも思って、次に行きなさいよ次に」
「え、あ、ウーン、いやあ……」
「何よ」

 卯ノ木がじっとりとした目でこちらを睨む。わたしの煮え切らない返事に、よからぬことを察したようだ。彼女はふかぶかと息を吐くと、知らないわよとすげなく言った。彼女はそれ以上追求することもなく、アクアブルーの液体を少し嚥下する。透明なストローヘ吸い込まれていく液体が日差しにきらきらと光っている。

「来週、長野へ行くって言ってたっけ?」
「あ、うん」
「私も仕事の予定があるし、往復は無理だけどチケット、取ってあげようか。『ラルジクラス』に」
「え、いいの?」

 わたしは思わず身を乗り出して聞き返した。彼女は鉄道会社に勤務しており、現在は一部の新幹線のみに実装された『ラルジクラス』という超高級車両の専属アテンドなのだ。新幹線代と別でそこそこな金額が上乗せされるのだが、その車両の席をとってくれるという。

「社員割分くらいしか安くならないけどね。新幹線代は会社から出張費で出るんでしょ? なら上乗せ分は出しなさいよ」
「出す出す、やったぁ! 卯ノ木様、大好き!」
「はいはい」

 彼女は至極クールにわたしの喜びっぷりをいなすと、すまし顔で残り少ないソーダを啜った。グラスが空になって、ずずっと間抜けな音がする。彼女の耳が少し赤く見えるのは、見ないようにしておく。この友人は、歯に衣着せぬように見えてこれでも愛情深く、さらには結構な照れ屋で恥ずかしがり屋なのだ。

「…適当に気分転換して、気が済んだらほどほどのところで別れなさいよ、そんな男」
「うん、心配してくれて、ありがとう」

 卯ノ木はフンとそっぽを向いて返事をしない。そろそろ出るわよと赤い顔を隠すように乱暴に伝票を掴むので、長野では奮発したお土産を買ってこようと、慌ててその背中を追いかけた。






 卯ノ木からはその後、長野駅からの復路分のラルジクラスのチケットが取れたので当日に渡すと連絡が来ていた。二人席で申し訳ないとあったけれど、全くそんなことはない。折角長野に行くのだからと情報サイトで長野の観光情報をちまちま調べてはいるが、やはり一人で行動するとなると決め手にかけ、あまり予定は決まらない。
 沖矢氏からは再度、先日の断りが申し訳ないと謝罪があったが、気にしていないと首を振っておいた。代わりといってはなんだが、水曜の花火大会は大叔父も町内会から運営側の仕事を振られて忙しいようだし、子ども達の引率をお願いすることになってしまったようで、寧ろこちらが申し訳なかった。まあ、毛利さんのところのおじさんや蘭さん、鈴木園子さんや最近できた高校の友人も来てくれるらしいので、特にわたしがいなくても問題はないのだろうが。

 長野出張を翌週に控え、前日は仕事なので休みのうちに自室で荷造りをしていると、ふと階下の庭先で何かが動いたのが見えた。日が長くなったので、まだカーテンを締めずにいたのだ。そろそろ電灯をつけてカーテンを締めなければと窓辺に近づくと、何か動いたものが見えたのはこの家の庭ではなく、隣家の庭だったことがわかった。
 昼と夜が混ざったような薄暗い明るさの中、判別しづらいが女性が一人、隣家から出てきて門扉を閉める。ぱっとついた街灯の白々しい光に彼女の金髪が鮮やかにきらめいていた。恐らく欧米人だろう、金髪の女性は足早に隣家の工藤邸から去っていったが、わたしは何となくその後ろ姿から目を逸らせないでいた。
 そのとき、ぶーぶーと鈍い音を立ててスマホが鳴る。振り返って見ればメッセージアプリの着信で、沖矢氏だった。

『確か今週に長野へ行かれると言ってましたよね? くれぐれもお気をつけて。
 特にお酒を飲まれる際は、一二杯程度にしていただけると僕も安心できます』

 明るかった昼間の日差しはぐんぐん暮れていく。暗がりで光るスマホを眺めながら、これはどういう気持ちで送ったメッセージなのだろうと、ふと隣家を見た。
 沖矢氏が幼女趣味のペドフィリアでないことはわかっている。彼にとって哀ちゃんは、どう転んだって、何より大切な庇護対象なのだろう。彼の眼差しが、言葉が、態度がそれを物語っている。けれど、わたしは一体なんなのだろう。彼にとって、自分がどういう存在でどういう立ち位置なのか、わからないし掴みきれない。
 さっきの金髪の女性は隣家から出て行った。一人暮らしの男の家で二人で会っていたのだとしたら、女性と会ったあとに別の女に連絡するのは、どういう気持ちなのだろうか。どういう意味なのだろうか。
 わたしは彼のひとつの秘密を知っているが、ひとつ以上は知らず彼について無知だ。さっきの女性は、彼のことを知っているのだろうか。彼が何を好んで、何を嫌って、何を愛して何に情を注ぐか。彼が普段何をしていて、彼の本当の名前や、本当の声を知っているのだろうか。
 何を思って沖矢昴はわたしに優しくし心配の言葉をかけ、恋人のように振舞って甘やかすのだろう。
 それはわたしには、とんと理解できず解読できない、難解な謎に思えた。






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