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五条悟はバームクーヘンエンドを許さない

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 多分どちらでも、よかった。
 久々に大きく吸い込んだ空気は淡い春のような匂いがして、悟は微睡みの中からゆっくりと瞼を開いた。開いた窓から差し込む日のひかりと、白いレースカーテンを揺らす淡い風。
 その窓の前にいる家入硝子は、ぼんやりとした顔つきで湯気の立つマグカップを啜っていた。

「…………煙草、やめたの」

 悟がそう聞くと、家入はハっとした顔をしてこちらを見た。彼女の、名前の通り硝子玉のような瞳がまるまると開かれて、そしてくしゃっと細められる。

「ああ、長生きしてみようかと思ってな」
「ふぅん、硝子らしくないね」

 言って、手のひらをぐ、ぱ、と握る。脳味噌の中は焼き切れたように霞みかがっていて、判然としなかった。

「なぁ、俺」
「ウン。……お前はもう、呪力は練れなくなっているはずだ」

 言われて、すと腑に落ちた。ずっと自分の周りにあった巡るものが失われており、世界はもう鮮やかではない。
 六眼は視界という機能を失っていないようだが、呪力による起動ができないのであれば、宝の持ち腐れもいいところだ。

「ここは楽巌寺が用意した山奥の保養所だ。最高レベルの術式結界が張ってあり、この場所を知っているのは私と、伊地知だけ。
 お前は表向きには、死んだことになっている。意識不明状態で体が保持されていると知れたら、いらぬ蛆蝿が湧くからね」
「それは、お気遣いどーも」
「まだ前回の宿儺戦で受けた被害が癒えていないため、五条家や他の御三家の家名存続については保留。お前が殺した総監部については、楽巌寺を中心に再建が始まった」
「………………」

 家入の話を聞きながら、悟はこめかみを親指の腹で揉み込んだ。頭がずっしりと重く、思考が纏まらない。脳味噌の回転率が、稼働率が、ひどく低い。まるで自分が、凡人になったようだった。

「まずは話しておくべきことは、そんなところかな」
「ああ、ありがとう。助かった」

 悟が衒いなく、家入を見上げて言うと、彼女は湯気の薄くなったコーヒーマグを持って、少し微笑んで、こう聞いた。

「ねえ五条。
 お前は、バームクーヘンエンドって知ってる?」






 高専時代のときに、付き合っていた女がいた。
 細っこくて弱いわりにとんでもなく気の強い女で、お坊ちゃま育ちで他人を虫けらとしか思っていなかった情緖レベルの低い五条悟はその少女に随分ひどいことを言い、互いに顔を合わすと嫌味を言い合うような関係だったのだが、ふとしたことから男女として、付き合うことになった。
 別れの原因は単純で、夏油がいなくなってから更に多忙を極めるようになった悟と、窓として一般社会へ戻ろうという彼女とでは、生活がすれ違った。連絡を疎かにして返さないメールの返信を二ヶ月滞らせてから、彼女から届いた「別れよ」というメールに「うん」とだけ返した。

 バームクーヘンエンドとは、「なんだかんだ言って、アイツはいつか俺と結婚するに違いない…」等と鬱々思っていた男が、全く別の男にその女を掻っ攫われ、進退どうにもならなくなって出席した彼女の結婚式の引き出物に、バームクーヘンをもらって帰ってくる、というネットミームである。
 身に覚えが、ありすぎた。

「お前本当にすごいよ、もう駄目だろうなって思ってたんだけど、今日、起きるんだもん」
「エ何、どういうこと」
「今日、これから、結婚式。高崎の」
「…………、ハ?」

 確かに家入はそう言えば、白衣の下に小綺麗なミニドレスのようなものを着ていると思った。
 家入は膝上まで出した、細くも肉付きの良さそうな足をゆっくりと組み換え、悟を見る。

「私もさ、あの子が結婚して幸せになるっていうなら反対しないけどさ。
 あの子、結婚する理由を『悟が守った呪術界を私も守っていきたいから』とか言うんだよね」
「………………」
「相手、加茂家の生き残りの一人だよ? 呪力の相性がよくて、呪力の量と質のいい子どもが生まれそうだから、母体として嫁ぐんだってさ。馬鹿みたい」
「………………」
「そりゃ、相手は今の総監部の中でも通用するような、一定の倫理観がある奴だけどさ。あの子が呪力タンクとか、子ども産むための母体扱いとか、そういう扱い受けるのって。
 私、意味ないと思うよ」

 家入はそこまでしらっと言って、ベッドの上の悟を見た。

「どーする? バームクーヘンエンドする?
 あの子はもうお前が死んだと思ってるから、受け入れてもらえないかもだし、相手の男をなんだかんだ愛してるのかもしんないけど。
 このままここにいたら、確実に私が持って帰ってきたバームクーヘンを一緒に食べることになるね」
「…………着替え、貸して」
「オ。それでこそ『五条悟』じゃん」

 家入が冗談めかして言った言葉に、悟は少しだけ彼女を見て、ほのかに笑った。

「多分もう『五条悟』はどこにも、いないよ」

 悟の言ったその言葉に、備え付けクローゼットからシャツを漁って取り出していた家入は、振り返って服を投げながら、強く言った。

「悟でないなら、ならお前は、誰だ?」






 :






『君は五条悟だから最強なのか』
『最強だから五条悟なのか』

 親友に言われた離別の言葉が、今も耳を離れない。車窓から過ぎていく景色を見ながら、悟は昔を思い出していた。
 京都の街並みは、自分の記憶の中とは変わりがないようで、その実すこし違っている。あれだけインバウンドと言って賑わせていた外国人観光客の姿はないし、道行く人もなんだかのんびりしているように見える。

「日本は今、鎖国してるみたいなもんなんだよね。
 呪霊の存在が明るみになったから、海外からは渡航禁止令が出ていて、それでも呪専による呪霊討伐は結構滞りなく進んでるから、一般市民の危機感は薄れ始めた。
 お前が育てた後進たちの、努力の賜物だよ」

 家入の説明に、悟はじっと黙って車窓から外を眺めていた。家入に呼び出された伊地知は取るものもとりあえず、と言った体で現れて、悟の顔を見た瞬間にぼたぼたと泣き始めた。
 大袈裟だなぁ、と悟は言ったし、伊地知くん鼻出ててカッコ悪いよぉ、と家入は言った。伊地知はそんな揶揄いは気にも留めずに、ぼたぼたと泣き続けるので、自分は案外好かれていたのかもしれないな、なんて悟は薄らと思った。

 彼女が結婚式を挙げる式場は、京都の町の中の町家一角を改装した場所のようで、本当はもっと大きな式場で、と加茂家なら言いそうなものだが、存続の危機にある家柄上、早く血筋として都合の良い嫁を迎えることのほうが急務らしい。

「じゃ。私らは受付の仕事あたってるからさ、五条は好きに行ってきなよ」
「エ、僕、そんな適当に放流される感じなの」
「だってしゃあないじゃん、私たち受付の仕事あるし。
 みんなお前が死んだと思ってるから、今お前がその辺うろついてても、惚れた女に未練があって出てきた幽霊、ぐらいにしか思われないよ」
「すんげー、嫌」

 家入の身も蓋もない言いぶりに、悟はどろついた口調で言った。家入は「にはは」と楽しげに、喉を反らして笑う。

「いいじゃん、未練たらたらなのは事実だし」
「ウッセ」

 短く言って、伊地知が先斗町ちかくの路地に付けた車から降りる。こんなところに式場があるなんて悟は知らなかったが、最近いくつかできたうちの、一つらしい。大きな自然災害的な命の危機があったので、みな結婚ラッシュなのだそうだ。
 町家の連なる通りからちらちらと中を見て、そのまま結婚式の招待客の一人のような顔をして中に入る。眼鏡とキャップで顔と髪を隠してはいたが、流石に結婚式場に現れるような人種としてふさわしくない恰好だからだろう。じろじろと見られた。

「花嫁の、高崎さんにお届けものでーす」

 言えば、何か宅配の人間か友人の悪ふざけかと思われたのだろう。式場スタッフらしき女性が近づいてきて、用向きを聞いてくる。
 「僕もね、これを持ってこいとしか聞いていないくて」 シャツのポケットを叩いて言いながら少し眼鏡をずらし、その女性の顔を覗き込むと、彼女はぽっと頬を赤らめた。

「ワお姉さん美人ですね、この用事終わったら、僕この後暇なんですけど。
 今日のお昼とか、誰かと予定あります? ない? …えじゃあ、誘ってもいいです?」

 そんな話をして適当にそのスタッフの連絡先を手に入れ、教えてもらった花嫁の控室までを進む。少し奥まったそこは行き来する人間はいくらかいたが、ここまで入ってこれた悟に深く注意を向ける人間はもういなかった。
 二度、ノックをすると中から彼女の「はい」という声がする。

「どうも」

 ドアノブを押して部屋を開けると、白いウェディングドレス姿の彼女がいた。彼女は訝しげな顔をして、誰が部屋に入って来たのかを見定めようとする。これでも結構、警戒心が強いのだ。
 悟は小さく笑うと、髪と目を隠していたキャップと眼鏡を外した。

「どうも、元カノの結婚式に未練タラタラで出てきた幽霊ですけど」
「………………は?」

 とんでもなく怪訝な「は?」が出てきた。彼女は鬼みたいな形相で顔を顰めてこちらを見る。

「誰? 呪力感じないけど、誰かの悪戯ならしていいことと悪いことがあるって、わからない?」
「ウーン、この感じ。懐かしい、ただただ他人に対して辛辣」
「ちょっと、口調まで昔の悟の真似してるの? 悪ふざけが過ぎるよ」

 彼女は言って、ドレスの裾を掴み上げてずかずかとこちらへ突き進んできた。彼女が腕を伸ばし、悟のシャツの襟を掴む。ぐっと体を彼女のほうへ引かれて、悟は久々に、彼女の目の中をじっと覗き込んだ。
 同じく悟の目の中を見た、彼女の瞳がゆらゆらと水面みたいに、揺れる。

「え? …………本物?」
「ウン、ごめんね」
「え、幽霊?」
「ゴメン、俺、生きてたみたい」

 ごめんね。
 もう一度言うと、彼女は大きく息を吸い込んだ。踵の高いヒールを履いた彼女が、足から力が抜けてたたらを踏む。ガタガタガタ、と大きな音がした。ふらついた彼女が近くの机にぶつかり、悟は慌ててその腕を捕まえる。

「悟、なんで」
「硝子が」
「何も言ってくれなかったの」
「僕が起きるかどうか、わかんなかったんだって」
「だからって」

 なんで、と彼女はもう一度、口の中で小さく強く言った。外から、誰かがこちらへやって来るような足音が聞こえる。彼女が今机にぶつかって音を立てたからだろう。

「隠れなきゃ。僕まだ、死んでることになってるから」
「……クローゼットが、奥に」

 彼女は言ってさっと立ち上がり、ヒールを脱ぐと奥の添え付けのクローゼットを開く。悟をぐいぐいと引っ張って、その中に押し込むと何も言わずにその戸を閉めようとした。
 なんとなく、ここでクローゼットの戸を閉められてしまったら、このまま彼女は行ってしまうのだろう。そんな気がした。
 彼女の細い腕を、強く引く。

「…………高崎様、……あら?」

 ドアをノックして開けたのは、式場のスタッフのようだった。「お手洗いかしら……」と小声で言って、またドアが閉まる。
 手を引いて自分の腕の中に連れ込んだ彼女は、その間じっと悟のシャツを掴んで、大人しくしていた。なんで、いつかきっとこの女と結婚するって、ぼんやりと思っていたのだろう。
 悟は自分の腕の中で、じっと涙を堪えている彼女を見て思った。肩をまるっと出したドレスは彼女のうなじをきれいに見せていて、悟がよく知っていた呪専時代よりも、彼女は少し痩せたようだった。

「お前、痩せた?」
「それは、そうでしょ。みんな多かれ少なかれ、痩せたよ」
「……あんだけ『ダイエットが〜』とか言ってた癖に」
「悟がさぁ、私甘い物控えてるっていうのにケーキとかの差し入れわざわざ買ってくるし」
「お前も硝子も、食べなさすぎなんだよね」
「そう言いながら、自分だけでバカみたいな量食べてたよ」
「お前が『私の前で甘いモン食うなぁ!』って怒るのが面白かったから」
「悟くんさぁ、だから情緒が小学生なんだよ」
「ウッセ」

 そんな風に下らない会話をしながら、彼女はじっと俯いて悟を見なかったし、悟はその彼女の骨っぽくなってしまった首筋を見ていた。
 
「…………硝子が。
 お前は僕の遺志を継いで、呪術界のために結婚するなんて言うんだ」
「……だって、他に私にできることなんて、ないじゃない」

 彼女は言って、ぐす、と小さく鼻を鳴らした。別に彼女と別れてから悟に恋人がいなかったわけではないし、それは彼女だってそうだろう。互いに処女でも童貞でもなかったし、守る操なんてものもなかった。
 けれど、喧嘩別れしたわけでも互いに愛想をつかしたわけでもなく。
 久々に会えば付き合っていたことなんてなかったみたいに憎まれ口を利いて、馬鹿なことを言って。そういう中途半端な関係の彼女が、きっといつか自分と一緒にいることになるだろうなんて、薄く愚かに、思っていた。

「僕さ、もう呪力ないんだよね」
「わかるよ、感じないもん」
「……そう。
 あのさ、昔言われたんだよね。傑に」

『君は五条悟だから最強なのか』
『最強だから五条悟なのか』

 喉の奥に引っかかったように、その言葉がずっと胸から抜けてくれない。
 『五条悟』であるために、自分は最強を守り続けたしそれに殉じたけれど、もしそこで自分が『最強』ではなくなったのなら。
 自分は一体、誰になるのだろうか?

「『最強』じゃない僕でも、お前は悟って呼んでくれる?」
「バッカじゃないの」

 珍しく感傷的な気持ちになって聞いたのに、そんな悟に彼女は馬鹿やった子どもの頭を叩くみたいにスパンと言って、キっと悟を睨んだ。

「あんたみたいな自己中で我儘で、他人の迷惑も自分自身への迷惑も、不条理も、何も斟酌しなくて誰も彼をも置いていく、そんな大バカ者が悟じゃなくて、誰が五条悟なの」

 はっきりと、突きつけるように言われて、は、と小さく呼吸が止まった。
 彼女が遠くから自分を見ていたことを、知っていた。何か言いたげな目で、引き止めたそうな目で、心配そうな目でずっと遠くから、こちらを見ていた。
 悟は最強だったから、その視線に応えるわけにはいかなくて、ただただ強く舗装された日差しの道を歩いてく。
 でも、もし、仮に。
 五条悟が『五条悟』でなくなったのなら、もし。

「……僕さ、呪力はもうないけれど体には術式が残っているし、イカれた御三家の残党とか呪詛師もどきとかに見つかったら、いい呪詛の素材にされちゃうと思うんだよね」
「やめてよ、縁起でもない」
「だからこれから、きっと逃げて隠れて生きることになると思うけど」

 もし、……もし。
 誰も俺を知らなくても、生きてるって知らなくても、僕が人の子だって誰も言ってくれなくても。
 もし、お前が。

「僕と一緒に来てよ。他の男と結婚なんか、しないで」

 まるで子どもみたいな、ひどく直截的な言いぶりだった。
 彼女は虚をつかれたように悟を見て、それから薄く笑った。白くて淡い、薄い花びらのような微笑みだった。

「花嫁を攫うんだ?」
「茶化すなよ」
「……うん、いいよ」

 外では、花嫁がいなくなった、と声がする。悟は白いドレスを着た彼女を見下ろしながら、その肩に背中に、守るみたいに腕を回した。

「私も本当は生きるなら、悟と一緒がいいって思ってたんだ」

 花嫁を探す声が遠くなっていってから、二人はクローゼットから抜け出て窓から外を見た。部屋は一階で中庭に面しており、ここから逃げることも可能だろう。

「どうせその格好じゃ走れねぇだろうから、靴は置いていけば」
「カッコイイ〜! 花嫁姫抱きにして、攫って逃げる男だ!」
「いやぁ。僕って、何してもサマになっちゃうからなぁ」
 
 眼鏡をつけキャップを被り直し、窓から庭に降りた。踵の高い靴を放り出した彼女を軽々抱き上げて、悟は庭を歩いていった。
 遠くから、いたぞ!という誰かの声がする。それを聞いて、彼女と目を見合わせて悟は明るい植栽の多い庭から走り出した。
 植った低木を飛び越え、式場の敷地から町の中へ逃げていく。誰かが囃し立てるみたいに、ヒューウッと声を上げて口笛を吹いた音が聞こえた気がした。

 町の中を白いドレスを着た女を抱えて走っていく、すらりと背の高くどう見ても見目のいい美丈夫とそれを追いかける別の男たちに、通行人は映画の撮影かしら、なんて言ってカメラを向ける。
 あとで伊地知に言って消してもらわなきゃ、ね、SNSに上げられちゃうよ、なんて言い合いながら悟は彼女を抱えて走った。
 今日は大安で晴天で、空は悟の瞳よりももっと青々と青くて、広くて、いい天気で。
 ひどく、花嫁強奪には打ってつけの日であった。

 『五条悟』は、もういない。






 :






「ねーえ、絶対ヤバいよ、夜蛾セン絶対バチギレだよぉ」
「だってこんな天気のいい日に、戻って補習なんてやってらんねーだろ」
「だから釘刺しで『戻ってこい』って言ってたんだよ、夜蛾」

 二人で担当した任務は午前中だけで早々と終わってしまい、五条はさっさと帰るなんて勿体無いなんて言って、路面電車の駅から降りてずんずんと海の方へ進んでいく。
 彼女は口先では五条を諌めるが、自分だけ先に帰ろうなんて素振りは欠片もなく、先を行く五条の後ろを文句を言いながら、歩いていくのだった。

「オ、こないだ傑と見たアニメと同じ」
「有名だよね、ここ」

 少し歩くと先ほど降りた駅の、隣駅まで来た。海辺から風が吹いて、二人でそのきらめく水面を見る。五条は車が来ていないタイミングを見計らって、だっと海に向かって走っていった。

「なぁ! お前も早く来いよ!」

 光る海辺を背景に、黒いサングラスの向こうの瞳を同じくらい瞬かせて、五条が言う。
 お上りさんか、お子ちゃまかよ、と茶化しそうになって、そのまま黙った。彼はきっと今までこの東京近郊の海に来たこともなかったろうし、こうして誰かと授業をサボって遊びに来る、なんてこともきっと経験が少ない。
 水を差すのも酷だと思い、彼女は「はいはい」と軽く返事をして、五条が軽々と飛び上がって登った、海辺と道を仕切るコンクリートに手をかけた。

「ん」
「あ、持ち上げてくれるの? ありがと」

 五条が差し出した手をありがたく借り、同じくコンクリートの仕切りの上に登る。眼下の砂浜ではいくらか人の行き来があって、みんなのんびりと散歩をしたりサーフィンのボートを持って歩いたりしている。

「お前が一緒でよかったよ。一人じゃ味気なかったからさ」
「…………それは、どうも」

 いつも小学生みたいな意地悪や嫌がらせをしてくるが、こういうときまでなんとも小学生みたいに、無垢に感謝を伝えてくる。
 こちらを見てにか、と笑った五条に少し言葉を失って、彼女はあんまり言いたいことが言えなかった。
 五条が、だっと足を踏み出してコンクリートの塀から砂浜へ降り、海に向かって走っていく。
 早く来いよ、と彼がいうので彼女はもう一度「はいはい」とおざなりな返事をして、同じコンクリートの塀から飛び降りた。

 向こうで、青い海を背に五条が笑っている。強く強く光って眩しくて、目を焼くような。
 青い海と空と、彼の瞳のきらつきを前に、彼女はどうかいつまでも彼が、五条悟がこうして子どものように、笑ってくれていたらいいなと思って、砂浜に足を踏み出した。
 今、青い君に向かって、走っていく。
 






五条悟はバームクーヘンエンドを許さない







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