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里女に渡す花




 五条弾と昔馴染み


 顔を見せに行く前に小さな花を摘んだのは、以前里に戻ったときに少しだけきつい言い合いになって、最後に見た彼女の表情は唇を噛んで五条を睨むような目つきだったからだ。
 ご機嫌を取ろうなどという気はないが、里への戻り道で見かけた小さな花はそよ風にその頭を揺らしていて、いかにも摘んでくれとでも言うようだった。
 女に花など摘んで持っていく意味をわかっていないわけではないし、任務でどこそこの領内の別の土地に入ったときや、あれこれとした情報収集をするとき。なるべく優しい顔を作って花やら櫛やら贈ったりなんかして、女の機嫌を取る。
 そういうことを生業にしているのだから、花を彼女に摘んで持っていく意味がわからない訳ではないのだけど、五条はそういう内心に「そういうのじゃないんだよな……」と薄く言い訳をいつも貼り付けていた。
 彼女は、里にいる昔馴染みの彼女は、別に男と女の関係とかそういうことじゃなくて、でも帰るといるので挨拶に行くし反屋や椎良とも交わすような下らない話をして、少しだけ意地悪なことを言って彼女に睨まれたり怒らせたりをして、それを繰り返している。
 
 それでも今回、何となくでも花なんか摘んで帰ろうと思ったのは前回に会ったときにそれはもう盛大に、彼女を怒らせてしまったからだ。
 自分とそう歳が変わらないのにまだ嫁に行く気配もない彼女に、五条はよく「行き遅れ」とか「貰い手がないから……」とか言って憚らなかったけれど、前に会ったときもそれを言ったら彼女はぐっと唇を噛んで、まるで泣きそうな顔をした。だから珍しく思って「仕方ないよ。かわいげがないもんな、お前って」と駄目押しの一言をいった。

「……弾に、何がわかるのよ!」

 そうやっていつも通りの意地悪を言ったつもりの五条に、彼女は五条が持ってきた土産の団子を投げつけ、そのまま怖い顔で五条を睨んだ。前に帰ってきた時だって、似たような軽口を言って彼女が少し尖らせた唇を眺めていたのに、その時の彼女はなぜか大袈裟に顔を歪めて泣く寸前で、そんなことばっかり言うなら早く帰って! と彼女が大声で喚いたのに、家の外から野良仕事をしていた近所のおばさんが顔を覗かせる。
 
 泣かせたとあっては女衆に何を言われるかわかったものではない。五条は慌てて投げられた団子の包みを拾ってそっと厨に置いて「もう行くよ」と、彼女の家から逃げるように帰ってきた。
 逃げるように、ではない。逃げたのである。
 自分自身で、わかっていた。いつも里の彼女の家から帰っては、反屋と椎良に今日はこんなことを言ったら彼女はこんな顔をして、不細工だったとかそういう話をするのに、その時はああして泣かせたことを二人に楽しく喋る気には全くなれなくて、しばらく里に帰らなくてもいい任務があることがありがたかった。
 そうして、そろそろほとぼりも冷めただろうと思って、五条は花なんぞ摘んで、のこのこと彼女の家を訪ねた訳である。
 久しぶりに訪れた彼女の家の近くでは、彼女は近くの沢で洗濯仕事をしているようだった。

「や、久しぶり」
「………………」

 軽く手を上げてにこやかに挨拶をした五条に、彼女はむっつりと黙ったまま川の水に浸けていたたらいを引き上げて、そのまま家に戻っていく。一緒に来てもいいとは彼女は一言もいわなかったが、五条はそのまま何も言わない彼女の後を追って、彼女の家の中に上がり込んだ。

「もう来ないでほしいの」
「……ん?」
「今度、お見合いするし多分そのまま嫁に行くから。もう、来ないで」

 家の中に入った彼女は、顔を俯けて五条を見ないままでそんなことをぼそぼそと言った。五条はこちらを見もしない彼女に、大袈裟に大きく、はぁ、とため息を落としてみせると「そんなわけないでしょ」とまた軽い口調で言った。

「お前なんかもらってくれる男なんて、いないって。そう言って破談になって帰ってくるのが、落ち……」
「……弾は!」

 彼女は五条がそうやってつらつらと話した意地悪を大声で遮って、泣き濡れた目でじっとこちらを見た。
 別に、こうやって酷いことを言ってどうしたいわけでもなくて、ただ彼女がそうやって恨みの籠った目つきで自分を見るのに、喉の奥が痛くて、熱くなってくる。

「弾は、私をどうしたいの、どうしていつも戻ってくる度に私のところに来るの、いつか。
 いつか、お嫁に来いって言ってくれるかと思ってたのに……」

 ほたほたと彼女は涙を溢して、両手で顔を覆った。じっとりと、喉の奥が、飲み下せない唾液があって、喘ぐように喉の奥が痛くて薄い息が漏れる。
 ――お嫁? 俺が、この子を? 
 そんなことを薄っすらと思って、ああ、そうか、とようやくの腹落ちを愕然と見る。

「……俺、君にお嫁に行ってほしくなかったから。だからこんな意地悪ばかり言ってたのか……」
「……馬鹿じゃないの」

 憎々しげに、彼女は言う。目を逸らして顔を俯けた彼女に、五条は今更手の中の小さな花を思い出して、縋るようにそれを握りしめた。
 五条はこの女の子に今から、土下座をしてでも愛を乞うて、この先も彼女の元を訪ねる許しをもらわなければいけない。求婚などという、馬鹿げた名前の許しを。









 反屋とお嬢様婚約者


 手の中の花は、些か萎れかけているように見えた。
 黒鷲の先輩に、女に会いに行くには花くらい持っていくものだろうなんて訳知り顔で言われて、近くにいた五条と椎良を見ても「さぁ?」とか「そうなんじゃない?」みたいなことしか言わないので、反屋は溜息を落として里の彼女の家に出向く前に町で花を買ってきた。
 彼女の自宅の、このタソガレドキの里の中でも大きいお屋敷の玄関口で出迎えた使用人にその花を預けようとしても、彼女の乳母だったという老婦人は反屋の差し出した花を見てご自分で渡された方がいいかと、なんてことをいうばかりで反屋はその花を抱えたまま、そわそわと浮つく胸の内に少し歯噛みをしながら、案内されるままに屋敷の廊下を歩いていく。
 彼女がいつもよく過ごしているのは、庭の見える縁側に面した部屋で今日は風が少し温かいからか、障子も大きく開けたままで燦々とした日差しが濡れ縁から部屋の中に降り注いでいた。

「反屋さん、いらっしゃいませ」
「御無沙汰をしております」

 反屋は短く言って、頭を下げた。そちらへお座りになって、今円座を……と彼女が動こうとするのを押しとどめて、使用人の婦人から円座を一枚もらって、彼女から二人分程開いたところに敷く。彼女は縁側近くに畳を敷いてもらって、そこにちんまりと座っていた。今日は体の調子もいいのだそうだ。
 
 反屋が忍軍から、つまり組頭である雑渡から嫁にもらうように言われたのはこの細っこい娘で、里の中でも大きい家の娘である。末娘で体も弱いため中々嫁の貰い手がなかったそうだが、反屋がこれから出世をして忍軍の中で仕事をしていくためには、少々は家柄という後ろ盾が必要だ、と言われた。
 要は、政略結婚みたいなものである。反屋は組頭である雑渡に命じられたため、この細っこい娘のご機嫌をどうにか損ねず円満に婚姻を結ぶ必要があったし、彼女は行き遅れなどと呼ばれる前に反屋のところへ嫁いでしまわなければならない。
 あまりに尚早に進めすぎても下品だ、などと言われるので反屋は、ここ一年ばかりは忍軍の仕事の合間にこの娘のところを何度も訪う日々を続けていた。
 初めは人見知りをしてあまり喋りもしなかった娘も、今では反屋の来訪をまるで心待ちにしたような顔をして、こうして笑顔を向けてくる。なんだか胸の奥の座りが悪い、と反屋が思うのは、反屋壮太が忍軍の中だけで生きてきた、男所帯で育った男なのだからだろう。

「前にいらしてから少し間が開いたので、いつお越しになるのかしら、とそわそわしておりました」
「申し訳ありません、少し京へも出掛けておりまして」
「まぁ! 私、京なんて行ったことないの、是非お話しを聞かせて……」

 彼女はきらきらした笑顔でそんなことを言いながら、反屋の方へ少し体を乗り出した。丁寧に梳かされた髪が彼女の愛らしい色味の着物の胸元でちらりと揺れて、反屋は思わずその艶やかな髪を見る。
 京と言えば聞こえはいいけれど、何度も戦火に飲まれたせいで建物は壊れているところもあちこちだし、物乞いも多い。それでもきらきらと笑う彼女が好みそうな出来事をどうにか思い出そうと考えを巡らして指先で顎の辺りを触ろうとすると、座ったときに脇に置いた花束がかさりと音を立てた。

「すみません、先に。
 先輩に女性には花を贈るものと諭されまして、至らず申し訳ございません」
「あ……、うふふ。もしかして私に下さるのかしらと思って、そわそわしておりました」

 反屋が差し出した花を彼女は嬉しそうに受け取って、反屋が差し出した菖蒲の花に少し顔を寄せてその香を吸い込む。
 花の藍色が彼女の目に映ってきらりと光ったのに、反屋は言葉もなくその光景を見ていた。嬉しそうな顔をした彼女が、花束から顔を上げて反屋を見る。

「私、殿方にお花を頂くのが夢だったんです。昔、読本で読んで……。
 こんなことを言うと、また婆やに『はしたない』と叱られてしまうかしら?」
「…………いえ」

 反屋は言葉少なに言い、ようよう、彼女の微笑みから目を逸らした。彼女が花を脇に置いて、もっとこっちにいらして、と反屋に言う。

「反屋さんのお話、そんな遠くにいらっしゃっては聞けないわ。こちらへいらして」
「いえ……、私は、」
「だって私たち、夫婦になるんですよ?」

 無垢なのか、それともしっかりとした忍軍の奥方衆を張れるような女なのか、どっちだ、と反屋は思う。彼女が誘うまま、彼女が指し示した同じ畳の上まで座る位置を近づけて、嬉しそうに微笑む彼女のかんばせを見ていた。
 お見合い結婚のはずだった。恋女房なんかじゃ、ないはずだった。それなのに彼女に何度も会いに来て、自分なんかの話をにこにこと楽しそうに聞くこの娘の顔を見るたびに、胸の奥から体中を掻きむしりたくなるような、大声でわめきたくなるようなそわつきが生まれてきて、反屋は喘ぐように薄く息を吐いて、彼女の微笑みをただ見ていた。
 ね、お話をたくさん聞きたいわ、という彼女の手のひらが一歩、自分のほうへ近づいている。夫婦になったら、この手を握るのは許されるのだろうか、とそんなこと思って反屋は彼女の細っこい腕と手のひらとその甘やかな微笑みをただ、見ていた。









 椎良勘介と近所のお姉さん


 押し付けた花を彼女は少し困った顔をして、見ている。椎良よりも五つ程年上の彼女は、所謂適齢期というものを既に過ぎてしまっていていた。別に彼女自身に問題があったわけでもなく、心優しい彼女は病気がちだった自身の父親に代わって弟妹の世話をしていたり、逆に妹の縁談を纏めたりをしていただけで、自分のことはいつもなおざりだった。
 椎良だって、本当はもっと早くに彼女に言い寄りたかったのに自分の仕事の多忙さとか、彼女がせっせと自分の妹や弟たちの世話を忙しそうにしているのを手伝ったりなんかしていたら、立派に行き遅れと陰で呼ばれるような年齢になってしまっていて、それからようやく椎良は慌てた。
 ぼやぼやなんかしていたら、彼女を別の男に盗られるかもしれない。里の別の人間が、彼女も年が年だしどこかの小金持ちの後家とか……みたいな話をしているのを聞いて、気が気じゃなかった。
 もっとさっさと、自分の態度を明確にすべきだった。そう反省をしている。
 そうして椎良は彼女に「俺のお嫁さんになってください」と元服前の子どものような求婚をして、彼女は少し驚いた顔をしてから「勘介くんたら、昔と言うことがまるで変わらないのね」とお姉さんの顔をして言った。
 違う、これは本気なのに、本気であなたが嫁に欲しいんです……、とようよう、椎良が顔を赤くして情けなく言ったときに彼女にもようやく椎良の本気が伝わったようで、彼女は呆けたように椎良の赤い顔を見てから、困るわ、と一言いった。

「困るわ、勘介くん。こんな年増をからかわないで頂戴」
「からかってなんかいないです、俺は、俺の嫁はあなたしかいないと思って。あなたの家族の縁組を手伝ったのだって、それが片付かないとあなたが結婚してくれないと思ったからで……」

 椎良が言ったのに、彼女はなんだか泣きそうな顔をして顔を俯けた。椎良もあ……と思って、顔を同じく俯ける。彼女は善意から椎良が手伝ってくれたと思っていたのだ。それが男女の下心からなんて、いい気持ちはしないだろう。
 椎良は「また来ます」とそれだけを言って、彼女の家を辞した。それから再度、花を携えて彼女の家を訪うことができたのは、およそ一月後だった。黒鷲隊の仕事は、いつも忙しい。

「あの。この間の話の続きを、しに……」
「勘介くん……」

 椎良は言いながら、持ってきた花を椎良を家に上げて茶を淹れてくれた彼女の腕に、押し付けた。彼女は困った顔をしてその椎良が突き出した花を見ていて、受け取るか受け取らまいか、迷っているようだった。

「あなたの家族が恙なく過ごせるお手伝いは、俺は俺なりに一所懸命したつもりです。でも、そこにあなたへの下心がなかったかというと、そうじゃなくて……」
「うん、勘介くんがたくさん気を回してくれて、だから妹の嫁ぎ先も弟たちの縁談も良い御縁をいただけたわ」
「俺、いつも思ってました。あなたはいつもご兄弟の事ばかりで、ご自分のことはおざなりだって」
「……そんなつもりは、」
「なかったとしても、俺はそう思ってました」

 椎良はそう言ってから、花を彼女のほうへ押し付けてぐっと彼女の手を握った。まだ椎良も幼い子どもだったときに、近所の彼女が椎良の手を握って遊んでくれて、勘介くんならきっといい忍びになれるわ、と言ってくれたことを思い出す。

「あなたにも、幸せになってほしいんです。俺じゃない人がいいならそれでもいいけど、でも、もし俺でもいいなら……、俺は、あなたが……」

 言って、彼女の顔を熱く見る。彼女の手はあかぎれやささくれも多くて、お世辞にも綺麗とは言えない働く女の手だった。椎良は昔から、彼女のそうやって椎良にも、弟妹にも優しいところが大好きだったのだ。

「……こ、困るわ…………」

 彼女はもう一度、言った。椎良が彼女の両手を握っているので、手のひらで顔を隠せない。だから彼女は椎良の熱い目線から目を逸らしたけれど、耳は真っ赤に燃えるみたいに赤くなっていて、頬も唇も、紅を差したようだった。
 いける、と椎良の中の誰かが言った。それは多分黒鷲隊の任務を今まで一緒にこなしてきた同僚の五条で、反屋だったし、きっと押都でもあった。この態度の女はこのまま押したら、いける。それは経験則だった。
 「ねぇ」 椎良は今までに自分が黒鷲隊の任務の中で培ってきたすべてを用いて、女を口説き落とすときの、あの甘い声を出した。自分の誠実さも真剣さも、これ以上なく伝わっている。であれば後は、自分という男がどれだけ『男』として、魅力的かを伝えるのみである。
 これは、負けられない勝負である。椎良は今までの自分を培ってきたすべてに、黒鷲隊でこなした任務の数々に心の中で礼を言ってから、一つ息を吸い込んだ。

 その後の結果としては、彼女はまんまと椎良勘介に陥落した。ずっと弟の一人みたいに思っていた可愛い男の子が、まさかあんな男の顔をするなんて思ってもみなかった、と後に彼女はご近所の奥様友達に語ったそうである。









 押都長烈と昔馴染み


「ん」
「なぁに、それ」

 押都が言葉少なく差し出した花束を、彼女は不思議そうな声音で聞いた。里へ帰る前、所用があって市に寄ったときに少しきな臭い商人がいくらか居って、それらに気づかれずに近くで話を聞くのに、近くで売っていた花を買ったのだ。
 奥方にですか、と店番に聞かれて適当に、ああ、と頷く。押都は周りからヤイヤイと言われるのにまだ妻帯していなかったから、奥方宛というのはまんまの嘘であった。
 まぁそうは言えども、押都の大きい家に誰も置いておかないとなると、それはそれで不都合がある。結局押都が選んだのは、昔馴染みの女を一人雇って家に置いておくことで、昔から近所で見ていた女なのでそこそこに信用もある。互いにそろそろ結婚は……などと言われないわけでもないが、押都は「彼女がいるからなぁ」などと適当にその追及をかわして、彼女のほうも押都のところでのお勤めがあるから……などと適当な返しをしているようだった。
 だから押都はそうして仕事の都合で買った花を持て余して、そのまま里に持って帰ってきた。そこそこの大きさの家だが使用人はこの女と、先代時代から勤めている老夫婦しかいないから、花の行先にも困る。
 結局押都は、面倒がって何も言わないまま、その花を彼女に向かって突き出した。彼女は少しだけ驚いたような顔をしてから、ふっと頬を緩ませる。

「長烈が花なんて……。商人と追いかけっこでも、していたの?」
「さて」

 肝心なことは何一つ言わない男なのに、長い付き合いの女は物事の確信を見抜く。女は花を見て少しだけ嬉しそうに笑ってから、それを生けるためだろう。いそいそと花の包みを解いて、花を飾るための生け花道具を出してきた。
 押都はそんな彼女を尻目にさっさと着物を着替えて緩い着流しをきて、ぱちん、ぱちん、と彼女が鋏で花の茎を手折る音を聞いていた。彼女の手つきは滑らかなもので、すぐ泣く鼻垂れのガキだった頃の彼女はこんなことはできなかったはずなのにな、とそれだけを思う。

「今回はどれくらい、いるの?」
「どうだろうな」
「長烈がいる間に、近くの市に私も連れて行ってもらいたいわ。この間、櫛が折れてしまって」
「買ってきてやろうか」
「やだ。自分でも見たいもの」

 そんなことを言い合いながら、ぱちん、ぱちんと彼女が鋏を使う音を聞いている。途中で老夫婦の使用人が気を利かせて、茶と彼女が生け花に使う鉢と水を持ってきてくれた。
 女の指先は子どものときとは違って、しろくて滑らかで、泥よごれの一つも付いていない。普段は押都の家の家事と管理と、少しの庭仕事なんかもしているだろうから白魚のような、とは言い難いものであったが、立派に麗しい女の指にはなっていた。
 女をこの家の使用人の一人に、と言ったときに、彼女がどんな顔をしたのか。今も覚えている。彼女は嫁ぎ先の家で散々に旦那から暴力を受けて、舅姑にいびられて逃げて帰ってきた女で、逃げ帰ったはいいが実家に戻るのは恥だから、戻れぬなどと言った。
 なら私の家の使用人にでもなるか、と聞くと彼女は押都の顔を見て、困ったように少しだけ微笑んだ。嫌だとは、言わなかった。

「他に欲しいものは」
「さぁ……、でも長烈と久々に出掛けるのなら。美味しいお団子でも一緒に食べて、少し遠回りして帰りましょうね」
「お前はいつも団子が食いたいと言う」
「長烈はいつも、外へ出ているからいいでしょうけれど。私だって、偶にはいつもと違うお団子屋さんへ行きたいの」

 整え終わった花を、彼女は花器に向かって飾っていく。配置を考えながら剣山へ花を挿していく女は、それだけを見るなら押都の妻と言っても差し支えのない仕事をしてくれている。
 どちらでも、よかった。嫁に来たいならこればいいと思っていたが、半面、嫁ぎ先で暴力男に甚振られた彼女を同じ男として娶るのも、なんとなく面白くなかった。情がないわけではないが、男女のそれだけとも言い難い。
 押都は女がそうして自分の買ってきた花を飾っていくのを眺めながら、暮れ時の、里の中の空気を吸った。ここには戦火がないし、暴力はない。親を亡くして泣く子どもの声がなければ、兵士の無体に堪忍して、とすすり泣く女の声も聞こえない。
 そういう暴力から自分の好いたものだけを遠ざけて、そして満悦に浸ってそれを眺めるこの身の、なんと浅ましきことよと思って押都は、少しだけ唇を緩めた。
 女はまるで押都の妻のように、櫛をねだってどこそこへ行きたいと言って、二人で歩くことを所望する。いつかはこの関係に名前を付けてやる日が来るのかもしれないが、それでも今だけは男でも女でもなく、ただ互いの多幸を祈る。今はまだそれだけの、たったそれだけの一人でありたかった。
 彼女のことが、好きだった。













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