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不純異性交遊について

つまるところ世界の変質が起こるのだ。サソリはひどく生真面目は口調で繰り返した。

 これはある男の話だ。オレじゃねーぞ、ある男の話だ。ある男は十五歳の秋に童貞を捨てたんだ。相手は家庭教師の女子大生だった。肌を塗るのが年の割りに上手な女で、いつも上品な香水と化粧の香りがしていたらしい。服装はいつもふわふわしていて、甘いお菓子みたいで美味そうだったと聞いた。椅子に座るときにぴったりと膝小僧をくっつけて座る今時珍しい女で、ああ、それはあんたも一緒だな。ふわふわのスカートから覗く、その白くて硬そうな膝小僧がぴったりと閉じているのが逆にいやらしく思えた。処女に見えるほどに清純な女だったが、意外にも誘ってきたのは向こうからだった。あっさり開かれた膝小僧の向こうは真っ赤で、ぐちゅぐちゅで、グロテスクだった。グロテスクだったが、それでもそいつはそこに吸い寄せられるしかなかったんだ、ほら、男だから。そして、女のそのぐちゅぐちゅの、柔らかい肉に包まれた途端、世界は変質したんだ。それ以来、そいつは日に一度はセックスしないと生きていけなくなったんだとよ。生きることはできるけど、生きたくなくなるそうだ。ほら、世界が変わった瞬間だったんだ。結局そいつは高校受験に失敗して、今はどこかでホストをやっているらしい。熟女が食い放題だと笑っていやがったよ。

白墨の匂いが漂う夕暮れの教室の中、生真面目な口調でサソリの口から語られた話は猥談と呼ぶに差し支えのないものだったが、十和の表情は全く動かなかった。サソリと同じ年の少女たちはセックスのセの字を聞くだけできゃあきゃあ言うくせに、たった二歳違うだけでこんなに落ち着けるものなのか。十和が恥らうのを期待して持ち出したこの話は、全くの無駄話になってしまった。いっそのことチンポだとかマンコだとか修学旅行の猥談のように順番に羅列してやろうかと思ったが、客観的に見ればそれはひどく醜悪でサソリの美感がそれはならないと告げたので、口を噤んだ。

「それで?」

女の作りは全体的に小さい。今動いた唇も、鼻も、シャーペンを握る手のひらも、履き慣れて柔らかくなった校内履きの足も、夕日にきらきらする髪の毛も、固く閉じられた膝小僧も、彼女を作る骨も。例外は目の大きさと、160センチほどの身長だけで―それでも十和の身体は小さく見える―、まるで猫の子のように首根っこをひょいと摘んで持ち上げられそうな体型の持ち主だった。

「それでって?センパイ」

サソリは大きく首を傾げた。十和はむっとしたように唇を尖らせる。唇はつやつやとした珊瑚色だ。

「わたしはきみに、今回の不純異性交遊の動機について聞いているの。ホストのお友達について聞いていたわけではないわ。それとも、そのホストはきみ自身なのかな?」

そうなら、うまく書いてあげるわと言って、シャーペンを紙の上に滑らそうとした十和を、サソリは慌てて押し留めた。全くそんなの冗談じゃない。どうやらお堅い会長様には冗談が通じないらしい。

「まあ待てって。最初に言っただろ、世界の変質だって。オレにもあったんだ、世界の変質が。今のはただの前振り」

長い前振りね、と十和は皮肉めいたことを言ったけれど、表情は変わらなかったから本気でそう思っただけなのかもしれない。

「オレの世界の変質は、十五歳のときで、そうこの高校に入学した春だった。オレはそれまで、馬鹿みたいに優秀でよくできた子どもで、そして我侭を言わない子どもだった。欲しいものが特になかったから。欲しいものは大概、オレが望めば手に入ったから、欲しくなくなったんだ」

十和はまた表情変えずに、シャーペンの芯を白い紙の上に構えたままサソリの話を聞いている。感情の篭らない、ひどく事務的な仕草だ。それでもサソリはそれを気に留めずに話を続けた。

「欲が欠けた子どもだった。それはとても空っぽであったということも裏返しでもあるのだが、周りの奴らは誰もそんなことに気づきやしなかった。それはますます、オレの欲を無くさせた。何をしても張り合いがなく、手ごたえがなかった。勉強も何も。しかし、そんなオレの世界に変質が起きた」

そのときのことを思い出すと、サソリは今でもうっとりとする。春の空気は肺に吸い込むと甘く、忌々しいものだということを知った瞬間でもあった。講堂の天窓から差し込む金色の光は舞い上がった埃をきらきらとさせて、初めてそれを鬱陶しいと思った。多くの人が厳粛であろうと身体を硬くしている様は滑稽でもあった。ただ一人を除いて。

「見た瞬間にわかった。ああ、絶対にこいつはオレの手に入らないと。それは歓喜の感情だったよ笑い出したいぐらいだった。決してオレの手に入らないそれを手に入れて、蹂躙し、征服し、オレの頭の中は妄想に大きく膨らんだ」

十和はこの教室に二人きりで残されてから、一度もサソリを見なかった。話に聞いていたので知っていたが、本当に一度も見ないのでサソリは笑い出しそうになる。話を聞いたのは三日ほど前、教室で隣の席に座っていた、よく喋る男からだった。

 昨日さ、ホントに参ったよ。オレさ、一昨日五組のシホちゃんとラブホ行ったんだけどさ、知ってるシホちゃん?貧乳に見えたんだけど脱ぐと結構あったよ。B、Cぐらいかなあ?うん、でま、シホちゃんとね、楽しくやったんだけどさ、出てきたところをちょーどサイトウに見つかっちゃって。生徒指導のサイトウ。んで、生徒指導とか言って指導室に昨日呼ばれたんだけどさ、それがさ!サイトウいねーのよ!代わりにほらあの無表情で美人な元生徒会長!あの人が教室に一人でいてさ、あの無表情でオレに座ってくださいって。サイトウ先生はー?って聞いたら、先生は忙しいのでわたしが代理ですって、オレに話を始めろって言うの!ありえねえだろサイトウ!いくら優秀でも生徒に生徒指導させるかよ!しかもさ、生徒会長がさ、また淡々と「不純異性交遊に及んだ理由はなんですか」とか聞いてくるわけ。聞かれたら、ほらオレ正直ものだから答えないわけにいかなくて、オレ正直に「ヌいてなくて溜まってたのでー」って言ったわけ。でもあの人顔色ひとつ変えずに「マスターベーションの不自由は特に校則にはありません。こうして校則に違反する行為に及ぶほど、マスターベーションを怠ったのはなぜですか」って聞いてきたりしてさ!もう逆にこっちが困ったっての!

その一連の話を聞く間、サソリの顔はそれまでに類を見ないほどに輝いていただろう。近くに見えたそれは意外にも遠く、近づきがたい存在だった。それが、一瞬にして近づく方法をそいつは教えてくれたのだ。その男の手を取って、踊り出したいほどに歓喜していた。
それで?と黙ってしまったサソリにまた十和が聞いた。サソリは座っていた木の椅子から立ち上がると、さらさらと淀みなく彼女の手から文字を作り出していた銀色のシャープペンシルを、取り上げそのまま後ろに放った。十和はそのシャーペンの行く先を目で追い、何をするのと閉じられていた膝を割って席を立とうとする。その肩をトンと軽く押すだけで、彼女の身体は簡単に椅子の背に戻った。サソリは唇に笑みが浮かぶのを抑えきれずに、口の端をにやりと歪ませる。
はらりと広がった頼りない薄い素材の紺色のスカートを、サソリは乱暴に踏みつけた。膝小僧を揃えることができずに、サソリの足首にぶつかった十和の白く柔らかい内腿の感触に、サソリはぞくぞくするような快感を覚える。
大きな十和の瞳はゆっくりとこちらを向いて、初めてサソリを深く注視した。その目を受けて、サソリはまたもぞくぞくと鳥肌を立てながら、十和の首に指を伸ばす。人差し指の先が触れた十和の肌はびっくりするぐらいに滑らかでさわり心地がいい。そのままサソリの指はつるつると下がって、セーラー服のタイを押しのけると彼女のささやかな乳房を掴んだ。こんなところまで小さい。サソリはくつくつと漏れる笑い声を堪えることができず、ああ、気味の悪い女を三人も抱いただけはあったと一人語ちた。十和は掴まれた自分の乳房を呆けたように見るだけで、何にも喋らない。

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