最後の国
鳥子の存在を認識したのは、下忍になった頃だった。第二次忍界大戦の真っただ中、サソリは忍になった。自分は優秀だという自覚がもうその頃の彼にはあったし、実際にそうだった。また里への不信感を覚え始めたのも、その頃からのことであった。
「あ!」
国境の監視任務の最中にツーマンセルを組まされている相方が声を上げたので、サソリははっとして振りかえった。反射的に腰のポーチからクナイを引き抜き、構える。しかし彼女は、そんなサソリの様子には、お構いなしだった。
「サソリ、見て見て!」
そう呑気な声で相方―鳥子―が言って岩場を指さす。「テメェ」。サソリはなるべく声を低くして言った。
「今何をしているかわかってるんだろうな。もしも任務に関係のないこと言ってんのなら、張っ倒すぞ」
そんなサソリの怒りにも、鳥子は堪えた様子がない。岩場を指してしゃがんでいる彼女は、輝くような鳶色の目でサソリを見上げた。
「『サバクノバラ』だよ!ちっちゃいけれど」
『サバクノバラ』と発音する彼女の言葉は妙に平坦で、一瞬サソリはそれが何を示しているのかわからなかった。ややあって、『砂漠の薔薇』のことなのだと理解する。サソリは大きくため息を落とした。
「お前、何のためにここにいるのかわかってんのか?」
「国境監視でしょ?でもこんな時間に国境を越えてくる奴らなんていないよ。だから下忍のわたしたちが配備されてるんじゃない」
鳥子の言うことも、確かに的を得ていた。だが、それだからこそ、そこに付け入られ攻め入られないとは言い難い。「とにかく」。サソリは怒鳴り散らしたくなる心情を押さえて言った。
「与えられた任務を全うしろ。それが忍だろうが」
「ちょっとぐらいいいじゃん。大体わたし今日誕生日なんだよ?任務入れないでくださいってお願いしたのに、きっちり任務入ってるしさ」
何という甘さ。サソリはくらりと眩暈がした。なんでこんな奴が忍なんだ?サソリは自問し、しかし一秒後には首を振った。こいつとツーマンセルを組んで数回の任務をこなしたが、こいつの緊張感のなさは最初に会ったときから今まで一貫している。考えるほうが無駄だというものだ。
「いいなあ。わたし欲しかったんだよね、『サバクノバラ』。持って帰れないかな」
鳥子はそんなことを言い、しゃがみ込んだまま岩場を見ている。サソリは馬鹿馬鹿しくなって、彼女から目を背けた。国境には何の変化もない。鳥子の言うことは確かに事実だった。奇襲ならば夜更けか、朝方かと相場が決まっている。砂漠が一番熱くなるこの時間帯に、砂漠に不慣れな者たちが攻め込んでくるとは、到底思えなかった。奇襲をかけたはいいが、負け戦になるのは必至だということが、わからないほど相手も馬鹿ではない。
「ねえ、サソリ」
後ろで鳥子が呼ぶ。「なんだ」。サソリは振り向きもせずに、返事した。
「サソリってサンプルケース持ってるでしょ?薬草を入れるための。それ一個くれない?」
「何に使うつもりだ」
振り向かず、冷たく聞き返すが、鳥子の返答には、やっぱり堪えた様子がないように聞こえた。
「『サバクノバラ』を入れるの!そのまま持って帰ったら、崩れちゃうもん」
サソリはもう何も言わず、ポーチの中からサンプルケースをひとつ取り出すと、後ろへ放り投げた。「わわっ」。鳥子が慌てた声を上げる。サソリは「フン」と鼻を鳴らした。
「ねえー。サソリー」
しばらく経って、また鳥子が呼んだ。「サソリ、サソリ、サソリってばー」。しつこく呼ぶ声に我慢がならなくなって、サソリは振り向いた。「仕事をしろ!」。怒鳴ったサソリに、やっぱり鳥子は堪えた様子がないようだった。
「わたしがこれ切りだしたら、なんか崩しちゃいそうなんだよね。サソリやってくんない?」
呆れて物も言えなかった。サソリはハアとため息を溢して顔を俯ける。そんなサソリに、鳥子は「お願い!」と両手を合わせて拝んでみせた。
「その間、ちゃんとわたしが国境見張ってるから、ね?わたしへの誕生日プレゼントだと思って、お願い!」
俯けていた顔を少しだけ上げて、鳥子を見る。鳥子は餌をねだる子犬のような目をしてサソリを見ていた。こいつはどうやったって折れないだろう。そのことを理解して、サソリは再度クナイをポーチから取り出した。
「ちゃんと見張ってろよ」
そう言って鳥子のしゃがみ込んでいた岩場に近づく。「ありがとう!」。サソリに飛び付きそうな勢いで言う鳥子を睨みつけて、「さっさと見張れ」と唸った。鳥子が国境を見張りに行ったのを見送ると、サソリは『砂漠の薔薇』に向き直る。確かに小さいが、なかなかきれいに形状を保っていた。クナイで周りの岩を崩し、『薔薇』を切りだす。それを崩さないようにサンプルケースに入れると、サソリは鳥子に近づき、「ほら」とケースを差し出した。
「わあ!ありがとう!」
鳥子は嬉しそうに言って、ケースを受け取る。受け取ったサンプルケースを太陽に翳してみたりする鳥子の様子を見ながら、サソリはひとつため息を落とした。こいつはもう任務のことなんか忘れているんだろうなと思った。
日がよく照る、四月十日のことだった。
十一月八日の任務では、サソリは初めて敵の忍と交戦になった。中忍二人とスリーマンセルを組んでいたが、二人の中忍は下忍のサソリにも容赦をしなかった。死んだらそれまでというような態度でサソリを助けもしなかったし、庇いもしなかった。サソリはむしろそれでいいと思っていた。下手に庇われたりなんかしたら、自分の尊厳が傷つくと思った。結局サソリは死なずに任務を終え、二人の中忍はそれに関して何も言わなかった。ただ、帰り際にサソリの肩をぽんと叩いた。少しは認めてもらえたのだろうか。思案したが、自分は誰かに認めてもらうためにこの道を選んだのではないと思い、その考えを頭から追い出した。
早く帰って熱いシャワーを浴びて、埃っぽくなった体を洗い清めたかった。里の中心部を抜けて自宅まで辿り着くと、家の前に何かが蹲っているのが見えた。なんだ?そう思い、そろそろと警戒の体勢を取りながら、近づく。はっきりとそれが何であるか視認してから、サソリはため息を落とした。
「おい」
サソリは乱暴に声をかける。蹲ったものは「うー」と呻き声を上げて、もぞもぞと動いた。そしてぱっと顔を上げる。
「おかえり!」
鳥子だった。最近の任務では顔を合わせていなかったが、それが鳥子だと、サソリにはわかった。「何してる」。サソリが簡潔に聞くと、鳥子も簡潔に答えた。
「ケーキ持ってきたの」
「は?」
思わず聞き返すと、鳥子はにっこりと笑みを深めた。
「だから、ケーキ持ってきたの。サソリ、今日が誕生日でしょ?」
「必要ないから持って帰れ。自分で食え」
冷たく言ったサソリに、しかし鳥子は引かなかった。
「だって、わたし、サソリに誕生日プレゼントもらったもん。お返しするのは当たり前でしょ?」
「オレがいつそんなもんをやった」
「くれたじゃない。『サバクノバラ』」
思い出した。「誕生日プレゼントだと思って」。鳥子の言葉が蘇る。サソリはハアとため息を落として、家の鍵を開けた。中に入るサソリの後を追って、招き入れてもいないのに鳥子も入ってくる。サソリはもうひとつため息を落とし、浴室に向かった。
「どこ行くの?」
聞いた鳥子に、「風呂」と答えて、浴室のドアを閉めた。
風呂から出てくると、居間で勝手に寛いでいた鳥子がぱっと顔を上げた。
「早かったね!」
にこにことして鳥子が言う。サソリはもう何も言わず、ただ濡れた髪をがしがしと拭いた。
「今切り分けるからね。冷蔵庫に入れてあるんだ」
「オレは食べるなんてひと言も言ってない」
「駄目だよ、食べなきゃ」
鳥子は急に真面目な顔になって言う。
「なんで誕生日のケーキが丸いか知ってる?」
知らなかったし興味もなかったので、サソリは「どうでもいい」と答えた。しかし、鳥子はめげずに言葉を続けた。
「丸いのは幸せの象徴なんだよ。幸せをみんなで分け合うために、誕生日ケーキは丸いんだよ。だから誰かと分け合って食べなきゃいけないの。大丈夫、小さめのケーキだから」
何が大丈夫なのかサソリには全くわからなかったが、もう鳥子の好きにさせてやることにした。サソリが何か言ったって鳥子には響かないだろうし、諦めないだろう。自分が折れたほうが賢明だ。それを鳥子とこなした数回の任務で、サソリは学習していた。
「四等分にするねー」
キッチンの中で鳥子が言う。
「サソリと、わたしと、サソリのおばあちゃんと、お父さんとお母さんの分」
サソリはちらりとキッチンの中の鳥子を見た。鳥子は真剣な表情で包丁を手にし、ケーキを切り分けようとしている。誕生日にケーキだなんて、何年ぶりだろうと思ったが、サソリは思い出すことができなかった。
「はい、サソリの分」
そう言ってサソリの前にケーキを置く。そしてもう片方の手に持っていたケーキを、居間の端に飾ってあった父と母の写真の前に置いた。
「これがサソリのお父さんとお母さんの分」
そう言ってから、また鳥子はキッチンに戻って、冷蔵庫を開けて皿をひとつしまう。それからもうひとつの皿を持ってサソリの前に座った。
「おばあちゃんの分は冷蔵庫に入れておいたからね。サソリ!お誕生日おめでとう!」
そう言って、鳥子はにこにこ笑う。サソリは仕方なく、添えられていたフォークを取ってケーキを一口食べた。それを見てから、鳥子も自分のケーキに手を付けた。
「美味しいね、サソリ」
そう言った鳥子に、サソリはひと言だけ返した。
「甘い」
「じゃあ、来年も作ってくるね!」
そこでなんで「じゃあ」になるのか、全くわからなかったが、サソリはそれを断ることができなかった。鳥子には抵抗しないほうがいい。サソリはそう学習していた。鳥子に抵抗すれば、もっと面倒くさい結果が待っているのだ。
八歳の誕生日を終えてから少しして、サソリは中忍になった。与えられる任務は危険なものが増え、命のやり取りをする経験も随分積んだ。それでも毎年の十一月八日には、サソリを脱力させるイベントが待っていることは変わりなかった。鳥子は下忍のままだったが、それでいいと思う自分がいることに、サソリは薄々気づいていた。こいつはこのままでいい。変わらなくていい。変わっていくのは、自分一人で十分だ。そう思っていた。
以前から考えていたことを決行する気になったのは、砂漠が暑さを増す三月になってからだった。十二歳のその頃にはもう、サソリはもう我慢がならないと思っていたし、自分のしたいことが里の中ではできないことを悟っていた。
里抜けの決心をつけたのに、サソリがしていることは里抜けの準備だけではなく、装飾品を作ることだった。銀に銅を割り金として混ぜて、ある形に金属を折り曲げ、溶接し、蝶番を付け、磁石を仕込んでいた。
完成したのは、ぎりぎりだった。四月九日。鳥子の誕生日の数時間前だった。サソリはこれが満足できる出来栄えなのか、わからなかった。そもそも、どうしてこんなものを作ったのか、わかっていなかった。
四月十日に日付が変わる頃。サソリは必要なものだけを纏め、家を出た。夜更けの里は静まり返っている。鳥子の家の前までくると、荷物を路地に隠し、鳥子の家の二階に跳躍して降り立った。鳥子の部屋が二階のこの部屋なのは、事前に調べてあったのでわかっていた。窓にはカーテンがかかっている。サソリは窓を控えめに、ノックした。何度か繰り返すと、鳥子が窓の向こうで起き上がる気配がして、カーテンが開いた。鳥子は寝惚け眼でサソリを見ていたが、ややあってサソリであると認識したようである。鳥子は慌てて窓を開けた。慌てる仕草が少し面白かった。
「よお」
サソリが言うと、鳥子は驚いた表情をして、「どうしたの」と聞いた。
「今日が何の日か知っているか?」
聞いたサソリに、鳥子は壁にかかったカレンダーを見つめる。そして時計を見た。
「え、・・・え?」
「あんまりでかい声出すなよ」
当惑した様子の鳥子を、サソリはくつくつと笑った。
「サソリ、その格好どうしたの?これから任務なの?」
聞いた鳥子にサソリは「そんなもんだ」と返事して、ポケットの中からそれを取りだした。
「手を出せ。左手だ」
「う、うん」
そろそろと差し出された鳥子の手を取って、ぱちんとそれを留める。銀細工のバンクルが、月光の元に輝いていた。
「きれい・・・」
鳥子がバンクルを見て言った。
「これ、どうしたの?こんなもの、どこで買ったの?」
鳥子の問いに、サソリは少し笑った。こんなものが今の時代に手に入らないことぐらい、わかっていたらしい。
「買ったんじゃない。オレが作ったんだ」
サソリが言うと、鳥子はバンクルを見つめていた顔を上げて、サソリを見た。
「すごい!すごいね、サソリ!」
「感謝しろよ」
「うん!」
鳥子が笑う。それを見て、サソリも笑った。
「大事にする。今までの誕生日プレゼントの中で、一番嬉しいかもしれない」
そう言って、鳥子はもう一度バンクルに目を落とした。
「このバンクルの模様、『サバクノバラ』の形に似てるね」
「元が一緒だからな」
「元って?」
「薔薇がモチーフなんだ」
「『バラ』?」
鳥子が不思議そうな顔でサソリを見る。鳥子の問いに、鳥子が今までどうして『サバクノバラ』と平坦な口調でその言葉を発音していたのか、やっとわかった。
「お前、薔薇を知らないのか」
「『バラ』って何?」
聞いた鳥子に、サソリはふっと笑んでから、答えた。
「花の名前だ。薔薇っていう花があるんだ。ここいらじゃとても育てられないが、気候のいい地方なら育てられるだろう」
「どんな花なの?」
「お前が持っている『砂漠の薔薇』と似たような形だ。形状が薔薇に似ているから、あの石は『砂漠の薔薇』と呼ばれるんだ」
鳥子は「へえ」と感心したような顔になっている。
「じゃあね、サソリ。来年のプレゼントはその『バラ』がいいな」
「お前もう来年のプレゼントねだるのかよ」
呆れたサソリに、鳥子はにっこり笑った。
「このプレゼントが嬉しいから、サソリが四年間もわたしの誕生日を無視したことは許してあげる。その代わり、来年はちゃんとちょうだい。それで一緒にケーキを食べるのよ」
そう言った鳥子に、サソリは少しだけ微笑んだ。ちょいちょいと手招きして、鳥子を窓に近づけさせると、鳥子の前髪をかきあげた。そうっと、そこに触れる。唇を離すと、鳥子は一瞬呆けた表情になって、それから見る見る顔を真っ赤にさせた。
「サ、サソリ・・・!」
言葉が出ない様子の鳥子をサソリは笑って言う。
「今年はケーキがないから、幸せを分け合えないからな。オレの幸福を分けてやったんだ。何か文句があるか?」
そう言ったサソリを見上げて、鳥子は少し怒ったような顔になった。
「急にこんなことするから、びっくりしただけだもん」
「そうか」
サソリは笑う。「それじゃあ」。そう言って鳥子の頭を撫でた。
「オレは行く」
「誕生日プレゼント、ありがとう。来年も忘れないでね」
どこまでもしっかりしている鳥子に、サソリは笑いを溢して、言った。
「来年は薔薇だ。青い薔薇をお前にやる」
「楽しみにしてる」
「ああ」
そう返事して、サソリは鳥子に背を向けた。「サソリ!」。後ろから鳥子の声が聞こえた。
「任務頑張ってね!」
「お前もな」
振りかえらず、手を上げて、サソリは地面に降り立った。路地に隠してあったザックを取って、門へ向かう。もうここには戻ってこないだろう。もうここには、心残りはなかった。もしただひとつあるとすれば、愚直に来年のプレゼントを待ち望む鳥子が、青い薔薇の花言葉を知るそのときに、側にいてやれないということだろう。しかし鳥子は、故郷は、もう捨てたのだ。
青い薔薇の花言葉は、まだそのとき、『不可能』もしくは『あり得ない』だった。
まだ、そのときは。
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