とある感情についての考察
昔、子どもに聞かれたことがある。
『どうして関りのない人達を殺せるの?』
オレは確かこう答えたと思う。
『関係ないからじゃないか?』
そしてこう思った。
――あらためて問われると答え難い。動機の言語化はあまり好きじゃない。
動機の言語化はあまり好きじゃない。オレはいつもしたいことをして、したくないことはしなかった。そこに何かの理由は存在しなかった。存在させてはいけなかった。
なぜなら、オレはクモの頭だったからだ。
夜の病院は薄暗かった。病院と言っても、闇医者だ。オレたちのような表に出れない奴らを専門に扱って、法外な値段の治療費を取る。そこまで考えて、自分たちも法の外にいるのだから、『法外な値段』と自分が思うこともおかしな話だと思った。
ここで待っていろと言われて、もう二時間になる。血がべったりと付いたシャツはもう乾いて、ぱりぱりと動く度に微かに音を立てた。動機の言語化はあまり好きじゃない。オレは何度目か、そう思った。どうして自分がここまでするのか、思うのか、わからなかった。それは今まで『好きじゃない』と言って動機を言語化をすることをしなかった故の愚かさなのかもしれなかった。オレは、オレのしたことや考えたことの意味が全くわからなかった。
「団長」
声がした。顔を上げると、シャルナークがいた。オレを見て、シャルナークは少し笑った。
「ホラー映画の登場人物みたいなことになってるよ」
「そうか」
幾ばくかの沈黙の後、オレはそれだけ言った。シャルナークは軽い足取りでこちらまで近づいてきて、オレの隣の椅子に腰かけた。
「カヤ、どうだって?」
「さあ。医者は二時間は部屋から出てきていない」
「そう」
シャルナークの言葉は乾いていた。少なくとも、そう聞こえた。オレにはそう聞こえただけで、シャルナークが何をどう思っているかなんて、オレには全くわからない。しかし思考をトレースすることは、難しいことではない。ある人物の行動と言動を分析し、自分の思考をそのようにそこに当てはめる。プログラミングをしてマシンを走らせるのと同じことだ。多少のずれはあっても、オレは八割くらいが正解の場合が多い。
――どうしてここにいるとわかった。
そう聞こうとして、その前に状況とシャルナークにもたらされたであろう情報を鑑みた。それを思えば、聡明なシャルナークがオレとカヤがここにいると考えるのは当たり前だと思った。
「カヤはどうして、そんなことをしたんだろうね」
ゆっくりと、確かめるような声音でシャルナークは言った。「さあ」。オレは言い、両手で顔を覆い、俯いた。思考のトレース。カヤだけは例外だった。オレの頭では、カヤの思考の飛躍が理解できなかった。一の事項を考えていたと思ったら、思考は六まで飛んでいき、そのまま十の回答に到達する。その間、恐らくカヤの頭の中では様々な情報の処理がなされているのであろうが、その飛躍のメカニズムがオレには理解できなかった。いや、そもそもメカニズム、そのものがなかったのかもしれない。
「団長は、今、何を考えてるの?」
俯いたオレに、シャルナークの声が上から聞こえた。何を考えているのだろう。そう言われた瞬間に、思考は今まで何を考えていたかという思考に支配されて、つまり何を考えていたかを考えるという思考に変貌する。その通りのことを口にすると、シャルナークは喉の奥を震わせて笑った。
「あまり思い詰めないほうがいいよ。考えすぎると、頭に毒が回る」
「毒?」
「オレは少なくとも、そうだね。最も団長みたいな頭の使い方はしていないから、オレの場合は毒というか、ウイルスみたいなもんだけど。ウイルスがメモリの喰ってフリーズしちゃうの」
「お前がそう言うなら、オレはどういう頭の使い方をしているんだ」
問うと、シャルナークは少しだけ考えるような間を開けた。
「そうだね」
確かめるように、シャルナークは言葉を口にする。
「団長の場合はさ、部屋があるとするじゃん。その部屋にはびっしりと引き出しが付いていて、何かを考えるときには、その引き出しから必要なものを取り出して、考えるんだ。引き出しには中にどんなことが入っているかきちんとラベルが貼られていて、種類によって整理されている。部屋の中で引き出しを開けては取り出して、不必要になったらまたしまって、ものを考える。そんな感じ。で、考えすぎると、部屋中にものが広がって、足の踏み場がなくなって、どこにどんなものがしまってあったのかわからなくなる」
「お前とどう違うんだ」
「オレは自分が作ったプログラムを状況に応じて幾つか走らせて、それで正解を得ようとする、極めて数学的な考え方だよ」
「オレはそれとは違うと?」
「そうなんじゃないかなって、オレの頭の中のマシンが言ってる」
頭の中のマシン。オレはシャルナークの言ったその言葉が少し気に入って、少しだけ笑った。
「お前のマシンは、カヤの行動をどう分析する」
そう聞いてから、しまったと思った。
「その答えはオレのものであって、団長のものじゃないから、きっと聞いても団長はよくわからないと思うよ」
その通りだ。言ってしまってから自分でも思ったことをシャルナークに言われて、オレはまた少し笑った。
「懺悔を、聞いてくれるか、シャルナーク」
「いいよ。オレは神父じゃないけど、聞くぐらいならできるから」
オレは息を吸い込み、少し止めて、それから吐き出した。
「オレは、カヤが死ぬかもしれないと思ったときに、一緒に死のうかと考えたんだ」
オレは俯いて、顔を手で覆っているから、シャルナークがどんな顔をしたのかわからなかった。
「カヤのことを一番に考えていたわけじゃない。カヤは団員だ。それ以上でも、それ以下でもないと思っていた。だが、血塗れのカヤの姿を見て、オレは自分の死について考えた。死ぬのはとても簡単なことだと思った。オレには自分を簡単に殺せるだけの能力があると」
「団長。例えばさ」
隣のシャルナークが言う。
「カヤがキスしてくれって言ったら、キスをする?」
「カヤが望むのなら、それぐらい何度でもしてやるさ」
「じゃあ、カヤがわたしを殺してと言ったら?」
「殺すだろう」
「それから、団長はどうする?」
「死について考える」
「その前に、することがあるんじゃない?」
すること?オレは考えて答えを見つけ出した。
「医者に連れていくな」
「だろう?」
まるで子どもに言い聞かせるような口調だな。オレは思って、また少し笑った。
「動機の言語化は好きじゃないんだ。オレは自分の行動の意味がわからない」
傷つけておいて、医者に連れていく。死のうかと考える。これは何という感情なのだろう。考えても、考えても、答えが見つからない。
「オレは客観的な立場にいるから、その行動の意味や感情の名前を、オレの高性能なマシンはさっさと答えを叩きだした。だけど、当事者の団長はさ、広い部屋の中で、引き出しを開けたり閉めたりしつつ、考えればいいと思うよ」
シャルナークが立ち上がる気配がした。オレはうつ伏せていた顔を上げる。立ち上がったシャルナークは、オレを見て、笑った。
「さっきの団長の考え方の話さ、引き出しの話ね。あれ、カヤが言ってたことなんだ」
「通りでお前らしくない詩的な表現だと思った」
「だろう?」
そう言ってシャルナークは笑い、じゃあねと手を振って、薄暗い廊下から出ていった。オレは考える。引き出しを開けては閉め、閉めては開ける。そうやってじっと考えていた。
医者が部屋から出てくる頃までには、答えを見つけたいと思っている。
一作品のボタンにつき、一日10回まで連打可能です。
-
ヒトコト送る
メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで