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五条さんのお仕事と、お手伝いのくのたまちゃん



 町に下りたのは、怪しい動きをする商人が領内に入り込んだと国境の斥候から報告があったからだ。商人はタソガレドキ領でも一番規模の大きい市に入って商いの許しを得ると、隣領から持ち込んだ品物を幾つか露天で広げて商いを始めた。
 それ自体は珍しいことでもない。しかし国境の斥候の話では、荷物の中身が恐らく二重底になっていて荷車が動く音も妙に軽かったのだという。
 要するに、二重底に何かを入れて持ち帰るつもりなのだろう。報告が上がってから、国境から市に来るまでに捕えることも選択肢には入ったが、二重底など知らぬとその商人どもに言われればそれはそれで無駄な尋問などの手間が増える。
 であれば、実際に事を起こしてから捕らえて、商人達の腹づもりでも聞こうと、黒鷲たちはそういう話をして商人を見張る段取りを付けた訳である。
 
 五条の他に反屋も椎良も商人の男の見張りについていて、物陰や屋根の上からその男の様子をつぶさに見ている。自領の市なので訪れたことがないわけではなく、仕事ではなく私事でもよく訪れる。今回の対象の商人が店を構えたのだって、普段から時々買い物に行く魚屋の隣である。
 自分たちを忍びだと知っているような知り合いがいるわけではないが、顔が割れている可能性はある。もう少し変装をしてくるべきだったかもしれないな、と五条は思った。
 そうしたことを考えながら路地から露天の男を眺めている五条の前を、ふと、てこてこと荷物を抱えてちいまい女が歩いていく。もちもち、もたもた、と聞こえてきそうなその娘はどう見ても見覚えがあって、五条は少し考えてから矢羽音を反屋と椎良に向かって、飛ばした。

「あ…あわ……、お疲れ様です……」

 もたもた、と荷物を抱えて歩いていたのは、五条のお嫁ちゃんのミヨシちゃん、その彼女であった。奥方様のお使いで町に下りてきていたのである。本当はもう一人の侍女と一緒に来るはずだったが、侍女が二人程風邪を引いて休みを取っていたため外に出す人手が足りておらず、彼女は「一人でも大丈夫です!」と言って出てきた次第である。
 もたもたと彼女が抱えていた大荷物を代わりに持ってやり、裏路地の隙間まで入って反屋と密談をする。

「あの店、いつも俺がミヨシちゃんとよく行く魚屋の隣なんだよ。
 いつも二人で行って顔見知りの挨拶もするから、行けば自然に隣の店にも話が聞けるかも」
「でもそれは、お前の顔が向こうの商人にバレることにもなるだろう」
「どうせ逃がすつもりないなら、今更じゃない?」

 五条と反屋が話し合っている横で、彼女はアワアワと二人の顔を見比べている。通りの様子を一人伺っていた椎良は、そうして彼女を間に挟んで五条と反屋がやいのやいのと話し合いをするのを見て、呆れたように溜息を落とした。

「でも尻尾を出すのがいつなのか、わからないし。
 会話から少しでも糸口を掴めたら、それでいいだろ」
「それはそうだが……」

 意見として、別にどちらも間違っていない、とで聞いている椎良などは思う。どちらも任務の確実性を上げるための話をしていて、五条は商人たちの目的を少しでも探って見落としがないようにしたいと思っているし、反屋は自分たちの顔が割れて警戒されれば、逃げ出される可能性が高くなると思っている。
 だから、あとはもう「どちらが折れるか」という話なのだ。
 商人の思惑がわからない以上、どちらが正解なのかは後々になるまでわからない。それを椎良も、そして五条も反屋も、よくよくわかっていた。
 結局折れたのは反屋の方で、彼は大きく溜息を吐いてから「わかったよ」と五条に頷いた。

「ミヨシさんも、すみませんがお付き合いいただけますか。
 荷物は先に、私の手の者に城へ届けさせますから」
「あ、はい! 私は奥方様のお許しさえいただければ……!」

 そうして反屋が彼女のお使いの荷物を城に届けさせた際、奥方様へ少々彼女の手を借りたい旨を伝えれば「構わない」と返答が戻って来た。何なら、時間が遅くなるようならそのまま直帰していいわよ、のおまけ付である。
 忍軍本体と違って、奥方様付の彼女の職場はド級のホワイト企業である。羨ましいな……と少しだけ、三忍は彼女を眺めた。

「さて、じゃあミヨシちゃん。
 すみませんがいつも通りで大丈夫ですので、買い物に付き合ってもらえますか?
 いつもの通りに買い物をして、その流れで魚屋の隣の商人にも話しかけますので」
「あ…はい……!」

 彼女は大きくこくりと頷くと、路地から出て歩き始めた五条の後ろにちまっと付いて歩いて、二人は魚屋へ向かった。元々忍術学園から時折実習などで出るときぐらいしか市へも行ったことがなかったので、彼女は未だに、人が多いところは少し気後れするのである。
 五条もそれがわかっているので買い物などはなるべく一緒に行くようにしているし、今回の彼女もいつもと同じく五条の後ろにくっ付いて歩いて、何なら五条の着物の袖を少しだけ握っている。
 いつも通りにしろ、と五条は言ったし顔見知りの魚屋がいるなら本当にいつも通りにせねばならぬのだが、友人とその嫁の仲睦まじいお買い物の様子をまざまざと見せつけられる羽目になった反屋と椎良は、溜息を吐いて目元を覆った。羨ましい、早く自分も可愛い嫁が欲しい。

「ミヨシちゃん、魚屋ついでに少し買い物もしていきましょう」
「えっ、あの……」
「いつも来る時は魚以外も買って帰りますからね。
 魚だけ買いに行くのも変でしょう」
「あ、そか……。
 なら、お味噌が残り少ないので包んでもらえたら……、あと向こうのお野菜も少し見たいです」
「ん、わかった」

 五条も別に厨事はするが、足りない物について詳しいのは仕事が先に終わって夕飯を作って五条の帰りを待っていることが多い、彼女の方である。
 味噌売りのところへ行って味噌を幾らか包んでもらって、五条の懐へ入れておく。野菜も同じく見に行ったが、いい野菜がなさそうだったしのあるものばかりだったので、有事の際に動きずらくなると諦めた。

「じゃあ、次は魚屋ですね」
「はい」

 彼女はほんの少しだけ緊張した面持ちで、頷く。きゅっと口許を硬くして五条を見上げた彼女の頬を撫でて、その緊張を解すように少し微笑んでから、二人で連れだって魚屋へ向かった。

「どうも。何かいい物入ってますか」
「やぁこれはご主人。相変わらず、ご夫婦仲睦まじい」

 魚屋の店主に話しかけて、ちまっと背中にくっ付いていた彼女も五条の後ろから頭を下げる。彼女はしゃがみ込んで魚をあれこれ見ており、五条も同じく魚を見ながら、ちらりと横の商人の様子を伺った。

「そう言えば奥さん、あんた、黄昏様のお城にお勤めなのかい?」
「え?」
「いや先日、黄昏様の若君様がお忍びで城下に来られていただろう。その時に、お側にあんたもいたからさ」
「あ、えっと……」

 確かに先日若君が城下に降りたいと駄々をこねたので、月輪からも数人護衛を出して若君を城下町で遊ばせたと、五条も後から聞いた。お忍びとは名ばかりで、仰々しくして行ったからあれが若君だとはバレバレだったとは聞いたが、そのときに彼女も一緒にいたとは知らなかった。
 彼女が少しだけ困った顔をして、五条を見た。肯定すべきかどうか、迷っているのだろう。隣の商人が、目の前のいる別の客の相手をしながらちらりとこちらを見て、五条たちの様子を伺っているのを視界の端に留めながら、五条はそのまま彼女の肩に手を置き頷いた。

「そうなんです。
 私なぞは一兵卒の小間使いなのですが、彼女は若君の覚えも目出度くでして」
「へえ、旦那のほうも城勤めだったのか。通りでいつも羽振りがいいはずだ」
「いやぁ、そんなことは」

 適当に話を合わせながら魚屋の主人とそのまま少し雑談をして、おすすめの魚を買ってから「ふと気付いた」みたいな顔をして隣の店にも目を向ける。

「やぁ。お隣は近頃からですか?
 前に来た時には、まだいらっしゃらなかったような」
「へぇ、昨日から商いさせてもらってます」

 田舎訛りの口調で話して、五条たちの監視対象の商人は頷いた。魚を包んでもらったものを受け取ってから、隣の店の品を眺める。通りの向こうから見たり気付かれないように顔を隠して前を通りがかった時は詳しく見えなかったのだが、置いてある品としては反物や女性向けの小間物が多いようだった。
 ますます、彼女に着いてきてもらってよかったな、と思いながら、彼女の方を見て「どうですか?」と声をかける。

「気に入ったものがあれば、買っていきましょう」
「あ…じゃあ。少し見させて頂いても……」
「可愛らしい奥方ですね。どうぞどうぞ」

 彼女が茣蓙の上に広げられた櫛や髪飾りを見ている横で、彼女にゆっくり品物を見させる体をを装って店主にあれやこれやと話しかける。

「ご店主は昨日からこちらにと仰られてましたが、あちこちの土地を回っていらっしゃるので?」
「ええ、まぁ。先頃までは、ドクタケの方におりました」

 商人のその言葉は、紛うことなき嘘である。
 黒鷲隊の調べでは商人はドクタケとは反対の、チャミダレアミタケ側の領地を抜けてやってきたとわかっている。商人自身は荷物が二重底になっておるとは知らず、ただの運び屋をさせられているだけとも考えられたが、商人自身がどこから来たかを隠すのであればその可能性は薄くなる。
 商人からは見えない位置の手信号でその旨を反屋と椎良に伝えると、隣で時間稼ぎのようにもたもたと品物を手に取っては眺める彼女の横顔に、少し目線をやった。

「ドクタケか、いいなぁ。
 仕事が少し落ち着けば、彼女と遊山でも行きたいと話をしているんですよ」
「へぇ……。可愛らしい奥方ですから、連れて歩いても楽しくて仕方ないでしょう」
「そうなんです」

 商人の世辞に食い気味に頷いたのは、心底の本心である。彼女もなんとなくそれがわかっているので、少しだけ恥ずかしそうな顔をして五条をちらりと見た。

「どう? 欲しいものあった?」
「……ん、えと。
 螺鈿(らでん)の小物入れが素敵だなって。……もう少し、見ててもいいですか?」
「勿論」

 彼女は商人の広げた品物の中から、螺鈿の小物入れや螺鈿飾りの付いた櫛を取ってまじまじと眺めている。きらきらと七色に光る貝の細工物は、五条の目から見ても綺麗だと思うので彼女も実際に綺麗だと思って、わざと時間をかけて眺めているのだろう。
 五条は彼女がそうして時間を稼いでくれていることに感謝しながら、目線を彼女の横顔から商人の方へ戻した。

「タソガレドキの領にはしばらくいらっしゃるので?」
「ええ、いい商いができればいいなと……。
 あの、先程少し隣での話が聞こえてしまったのですが、お二人は黄昏様のお城にお勤めなので?」
「ええ、まあ」
「今お出ししている以外にも、いい品はたくさんありまして。
 こんな機会はなかなか無いだろうから、商人の端くれとしての下心から聞くのですが、お殿様へお繋ぎなどいただけませんか?
 特に奥方様の方は、若様のお付きをされているとか……」

 撒いた餌にまんまと食い付いたな、と五条は内心で思った。
 彼女は実際は若君付きではなく、奥方付きだが若君が幼少の頃から側にいたので顔馴染みとして、そういう人手が必要な場に駆り出されることもあるし、若君の護衛の一人として侍っていることも多い。
 見目が普通の侍女かお付きにしか見えないのに実は忍びとしての素養がある彼女の存在は、護衛を編成する側からすればとても使い勝手がいいのだ。
 彼女は視線を品物に落としたままで、何も返答しない。「そうですね……」 五条は少し考える素振りの返答をしてから、人懐っこく見える笑みを浮かべて商人を見た。

「彼女と私の上司に、それぞれ聞いてみましょう。
 私の目から見ても質のいい品々だ。一つ二つ買っていきますから、それをお見せして上役のお目に叶うようであれば、人を寄越します」
「それは有難い。どうもありがとうございます。
 なんなら、奥方のお好きな物を差し上げましょう。こうしてお願い事をするのですから」

 いえいえ、とんでもない、などの茶番を少ししてから、彼女が欲しいと言った櫛と小物入れを無料で譲ってもらって、二人は監視対象の商人の店を後にした。
 良かったね、明日聞いてみないとね、などと他愛なく話すふりをして歩きながら、後ろから見知らぬ男に付けられていることを悟る。付けられたままでは反屋と椎良と合流するわけにもいかぬし、勿論家に帰るわけにもいかない。
 尾行には彼女も気づいているようで、五条の着物の袖をきゅっと、少し怖がるように握った。

「ミヨシちゃん。家に帰る素振りで、そこの路地を曲がりますね」
「……はいっ」

 小声で彼女の聞こえるようにだけ囁き、如何にもいつもの家路です、という顔をして角を曲がる。そのまま路地を進みまた曲がり、人の気配のしない民家の角をまた曲がる。そこには家の雨漏りでも修理するのに使ったのか、木材が幾つか立てかけて置いてあり五条はその陰に彼女を引き込むと、鋭く「着物を返せますか」と囁いた。
 木材の陰で彼女がさっと着物を脱ぎ、裏表を返して羽織る。同じく自分も上の着物を脱いで裏表を返すと、そのままそれを頭からかぶって裏路地の壁に彼女の体を押し付けた。

「なるべく大袈裟に喘いでくださいね、敬語もなしで」
「あ、はい……、っ、んぅ、」

 彼女の結わえた髪に指を差し込んで、それをぐちゃぐちゃに乱して髪留めも取ってしまう。それを体の陰に隠しながら、彼女の口を吸った。にゅる、と彼女は口を吸われて呻き声をあげ、自分たちを追ってきた尾行の男どもが路地を覗き込んだ気配がする。

「あ、だめ、だめなのぉ、……、ン、」
「いいだろ、奥さん……、今はアンタ、旦那がいないんだから……」

 わざと下卑た、粗野な男の声音を出して彼女の太腿を着物の裾から抱えて、また口を吸う。彼女は甘い息をはふはふ吐いて、五条の背中に腕を回して口吸いを受け入れて、また呻いていた。
 背後から五条たちを付けてきた男たちが、こちらを覗き込んでいる気配がする。五条は被った着物の下から背後の男たちを振り向くと「覗きたぁ、好い度胸だなァ?!」と大声を上げて背後の男たちを恫喝した。

「今いいところなんだ、邪魔したら只じゃおかねぇぞ!!」

 低く唸るようにそう声を上げて尾行の男たちを睨むと、びくりと少し怯えるように肩を震わせた。「着物の柄が違う」「女はあんな阿婆擦れじゃなかった」などと口々に言い合いながら、踵を返して去っていく。それを尻目に、再度彼女の口を吸って緩く喘がせながら、尾行の男たちが行ってしまうのを待った。

「もういいぞ」

 ちゅ、ちゅ、と口吸いを繰り返して彼女の太腿から尻までを撫でていると、ややあって背後から声がした。反屋である。
 五条は頷いてしつこく吸っていた彼女の口を離して、かぶっていた着物を下ろして反屋を振り向く。また着物を裏返して元通りに着こみながら体を動かし、反屋の位置からあられもなく着物を着崩した彼女を隠した。

「首尾は」
「椎良が追っている。お前達が見つからないので、一度戻ると言っていた。
 根城が暴ければ僥倖。俺も追うから、彼女を詰め所まで送ってから、こちらに合流しろ」
「承知」

 反屋はそれだけ言うと、さっと踵を返して駆けて行った。視線を反屋の背中から、自分の体で隠した彼女のほうへ戻すと彼女は赤い顔をして、もたもたと着物を着直している。

「ミヨシちゃん、そういうわけだから黒鷲隊の詰め所まで送ります。俺たちが帰るまで、そこで待っていてくれますか?」
「あ、はい……」

 彼女の顔も尾行の男たちにもバレてしまっているし、一人で家に帰して万が一のことがあってはいけない。
 男たちの目を欺くためとはいえ、甘く口吸いを繰り返して足や腰をいやらしく撫でたりしていたので、彼女の顔は色っぽく蕩けてしまっていた。この状態で先ほどの男たちに攫われでもしたら、どういう事になるか考えたくもない。

「お顔赤いの、戻りそう?」
「時間が経てば……」

 五条がこれ見よがしの演技で、しつこくしつこく口吸いをしたせいで彼女は未だはふはふと甘く息を吐いている。閨の中なら五条の着物を掴んで強請るような目線で見上げてくるのを、これは仕事だから、敵を惑わすための演技だから、という理由で必死に堪えて、もたもたと拙い手つきで着物を着直しているのが逆にいやらしい。
 晒しを巻いた薄いおうとつの胸元をじっと眺めて、そこに触れたいのを堪えてから、五条は彼女の着物の襟をきつめに合わせて帯を結ぶのを手伝ってやった。

「負ぶりますから、私の背中に乗って。
 今のお顔では、黒鷲の詰め所の中でもなんぞ在ってはいけませんから、小頭のところへ」
「はい」

 彼女のその頬に手を当てて目を覗き込みその後の段取りについて話をすると、彼女は大人しく頷いた。うるっとした瞳でこちらを見上げてくるのに、五条も腹底がぐらぐらと浮わつく気持ちになる。もう一度優しく甘く口を吸ってやりたいのを堪えて、自分の胸元に引き寄せて一度強く抱いた。

「仕事が終わったら、埋め合わせしますから。
 ミヨシちゃんがしてほしいだけ口吸いもするし、なんでもします」
「……ぁ、ウ、……はい」

 彼女は五条に抱き締められたままもちもちと頷いて、体を離してから、ぺちん、と自分の頬を叩いた。背中を向けた五条の背に乗り、負ぶってもらいながら首に腕を回して抱き着いてくる。
 ぎゅっと、肩や首にしがみ付くように彼女はするので、慎ましやかな胸の感触が背中にしている。「埋め合わせする」とか偉そうなことを言ったけれど、逆に仕事が終わったら宥めてもらわないといけないのは、きっと自分のほうだろうな、なんて。
 五条は少し情けなくなりながら、思った。






 さて。その後の顛末とは、どうなったかと言えば。
 まずタソガレドキ領に入り込んだ商人とその一党は何だったかというと、隣のまたその隣領からの間者たちであった。タソガレドキでは火縄銃を作る職人も抱えて育てているが、その火縄職人を攫って、自領へ連れ帰ろうとしていたらしい。
 五条に城への渡りをつけたのは、城内からその火縄職人の居場所の手がかりを探すため。椎良が五条たちを尾行していた男どもを更に尾行し返して根城を暴き、粗方の男たちの目的を暴いたところで月輪へも増援を依頼し一斉に捕縛した。
 今は逆にその男たちの領についての情報を搾り取るため、捕縛した商人どもは月輪の詰め所地下に押し込まれている。
 彼女は五条に連れられて、騒動が終わるまでは押都の執務室で匿ってもらっていた。押都も彼女も、大して会話をしているところなど見たことがなかったので少し五条も心配していたのだが、諸々を片付けて小頭の執務室へ報告へ訪れると彼女は祐筆の真似事をして、押都の書類仕事を手伝っていた。
 普段の調子から忘れがちであるが、彼女はこれでも一応は一国の姫であったしそういう手習いは標準以上に仕込まれ育っているわけである。

「黒鷲隊の任に巻き込んだ上、書類仕事まで手伝って頂き大変助かった。これは黄昏の奥方様も、あなたをなかなか手元から放さん訳だ」
「とんでもないです。私でも、またお役に立てる事があれば」

 彼女は五条がこの押都の執務室に彼女を連れてきたときよりも、幾分押都と打ち解けた口調だった。
 押都に部屋に居させてもらった礼を言い、二人揃ってそのまま黒鷲の詰め所から自宅までの道を行く。
 
「小頭と一緒にいて、嫌なこととかなかったですか? 大丈夫でした?」
「押都さま、いつも良くして下さるので嫌なことなんてないですよ。大丈夫です」

 以前、五条が怪我をして寝付いて意識が戻らなかった折に、五条の看護する覚悟が彼女にあるかどうかを押都は試すようなことを彼女にしたと聞いたし、万一あのまま五条の目が覚めなければ離縁させて反屋と夫婦にさせる、などと大分脅すようなことを、押都は彼女に言っていたらしい。そんなことをぽろぽろと後から、反屋と椎良に聞いた。
 寝付くまで深い傷を負ったのは単に五条自身の見込みの甘さからだし、押都の言動に間違いは一つもないと思う。それでもそんな無体なことを言われ続けた彼女は、押都を怖がるようになるのではないかと、そんな心配をしていた。

「なかなかお話する機会がなかったのですが、ようやく嫁入りのご挨拶も押都さまにできましたから。
 五条さん達はお仕事だったけど、私もいい機会が頂けてよかったです」
「……嫁入りの挨拶?」

 彼女が五条のところへ嫁入りをする際には、雑渡とも押都とも顔を合わせているはずだし、なんの挨拶だろうと、五条は訝しく思って首を傾げた。彼女は少し微笑んで、立ち止まった五条の着物の袖を掴んでこちらを見上げてくる。

「お舅さまへの、嫁入りのご挨拶です。
 前にご挨拶したときは、押都さまが五条さんの育て親とは存じませんでしたから」
「…………えっ」

 確かに押都は、身寄りのない五条の育て親みたいなものではある。忍軍に入ることが決まったのは十の頃で、その少し前に拾われてきて養い親に預けられていた。反屋はそうでも無いようだが、五条はそれ以前の子供の頃の記憶は薄く、養い親よりも押都にあれこれと世の中のことや仕事を習って生きてきた。
 だから確かに親のような人と言えば、それは押都ではあるのだが自分の貰った嫁に真正面から押都のことを「お舅さん」なんて呼ばれると、どうしようもなくむず痒く照れ臭い気持ちが背筋から脳天までを走っていく。
 彼女はそんな五条の様子を知ってか知らずなのか、淡く微笑むと五条の着物の袖を摘んだまま一歩、五条に近づいて艶々としたつむじをこちらに見せて、胸元にそっと自身の額を押し当ててくる。

「ご挨拶、したかったの。
 私は至らない嫁なので、五条さんのお父さんみたいな方がいるのにも気付かなくてご挨拶が遅れたけれど、五条さんのお嫁にならせていただきましたって」
「そんな、別に気にしなくて良かったのに……」
「だって。
 五条さんだって、卒業するときに私を連れてお嫁に貰いますって、学園長先生にもシナ先生にもご挨拶してくれたから。
 私も、したかったの」

 そうやって話しながら、黒鷲の詰め所から家までの道の間でまだ長く夏の日の、夕暮れていく日差しが彼女の瞳の中身をちかりと光らせる。彼女は、五条の胸元からじっと自身の旦那様を見上げながら、少しだけ潤んだ瞳をしていた。
 五条はまるで思ってとみなかった、みたいな顔をしている。五条は何と言うか、変なところで鈍感だ、と彼女は思っていた。

「五条さんが私を大切にして、私の大切な人も大事にしようとしてくれるみたいに、私も五条さんの大切な人を大事にしたいの。
 五条さんのことが大好きだから、私もしたいの」

 鈍感だ、と思う。
 こんなにも彼女は五条のことが好きで仕方なくて、側を離れるなんて絶対に嫌だ思っているのに、五条は彼女をまるで無理矢理タソガレドキに連れてきたみたいな、そんな話ぶりを未だにするときがある。
 五条がタソガレドキの人間なら彼女だってタソガレドキの人間になる覚悟はあったし、そうしたいと思っている。
 
「だから、押都さまにもちゃんともう一度ご挨拶がしたくて……。
 …………もしかして、ご迷惑でしたか?」

 五条があまりに何も言ってくれないので、彼女は少し不安になって少し目線を下げた。暮れていく日が少しだけ陰って、周りが暗くなる。俯けた頭の上で五条が動いた衣擦れの音がして、顔を上げた瞬間にぐっと背中に腕が回って、強く抱き寄せられた。

「俺は、果報者だ……」

 五条は彼女を強く抱き寄せたままで、喉の底から絞り出すみたいな声音で、それだけを言った。彼女は黙ったまま、ちまちまと腕を動かして、同じく五条の背中に腕を回す。

 五条が多分だけど心から、喜んでいてくれることがわかる。言葉にしなくても、声音やそうして五条が彼女を抱き締めるその腕の強さ、少しだけ泣くのを堪えるように呼吸が乱れたこと。
 そういうものがわかるまで、彼女は五条と一緒にいたしこれからだって一緒にいられるのだろう。彼女はそんなことを漠然と、特に根拠もなくただ思って、五条の体に強く抱きついた。
 五条が彼女の髪を撫でてくれる。五条の腕の中に抱き締められているときが一番、安心できて守られている感覚がする。
 二人は日が暮れてしまうまで、そうして互いに抱き締め合っていた。夏の強い、草いきれの匂いがしている。長く、長く。いつまでも。






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