花火に行けなくなって呻く五条さんとくのたまちゃん
花火に行く約束をしたのは七月の半ばで、その時は別に急ぎに仕事の予定もなかったし、全然大丈夫じゃーん、とか、思っていた。でも全然大丈夫じゃなくなってしまったのは七月の終わりで、突貫で先方に入れたプログラムが意味不明なエラーを吐いたのが、花火の日の前日の夕方。
ゴメン、明日の花火、無理かも……と数日泊まり込んだ会社の隅で彼女に電話をすると、彼女は少しだけ驚いたような間を持ってから、「全然大丈夫ですよ」と返した。
「お仕事最近また忙しいって聞いてたし、全然。五条さん気にしないでね」
「でも……」
「花火の席のチケットは勿体ないから、誰かもらってくれる人探して、交換サイトとか、出品してみるね」
「…………ウン」
折角だし、と言って有料の観覧席まで取ってあったのだ。なのに結局行けなくなってこのザマで、本当に申し訳ないと思うのに、彼女は全然気にしてない素振りなどする。
あまり無理しないでね、お仕事頑張ってね、と言われて電話を切って、自分のデスクの戻ると隣の席の反屋に「顔死んでるけど」と言われた。
「ミヨシちゃんが、『全然気にしないでね』って……」
「良かったじゃん」
「そうだけど、そうじゃない」
いい子すぎるし物分かりが良すぎるから、困っているのだ。向こうでは難しい顔をした椎良が「大変申し訳なく思っております。はい、はい。仰る通りです。本当に申し訳ございませんでした」と謝罪を重ねて電話越しの腰を折っている。この間復縁した彼女に、花火へ行けなくなった旨の電話を五条と同じように入れて、ドっ叱られている最中なのである。
「……あの二人、また別れると思う?」
「七割ぐらいかな?」
横目にそれを見ながら、反屋が白けた言いぶりでいう。偶にはああして彼女も、約束を破られ予定を振り回されたことに怒ってくれればいいのに、彼女は一貫として「仕方ないですから」とこちらにとって都合のいいことばかりを言う。
「なに。五条はあの子に、文句を言われたいわけ?」
「文句を言われたいし、『楽しみにしてたのに』ってプンプン怒ってほしい。
別に楽しみにしてくれてないとか思ってないけど、思ったことを飲みこまなくて、全部俺にぶつけてほしいだけ」
なんとなく、彼女が雑渡や高坂や尊奈門や、押都の前ではもっと自由にのびのびとして、言いたい我儘も好きに言っていることを薄々と知っている。高坂がいつも憚らず、彼女を「この我儘娘」とか呼んでいるところからも、それは顕著だ。
自分だって別に、彼女の前だといい恰好がしたくて普段の粗雑さを押し隠すから同じだ、とは思うのだが、それでも彼女の我儘を自分だって聞きたいし、「楽しみにしてたのに」と怒られもしてみたい。
そんなことを考えていると、反屋はそんな五条をじらっと白けた目で見て、呆れ顔をした。自分でもらしくないな、と思うのだが、殊更彼女のことに限っては、まるで学生のようないじらしい恋愛のやり方をしてしてしまう。
「言えばいいじゃん、そうやって」
「別にこれって不満とかじゃないのに、そんな不満言うみたいなこと、言えないだろ」
「そんなもんか?」
反屋はなんというか、いつもさっさと言いたいことを言うし飲み込まないタイプなのでそれ故付き合っても別れることもあるが、五条はどちらかと言えば言いたいことを大切な人にほど、あまり正直に言わないタイプだ。面倒なので黙っているか、その人が大事だと思っているから、敢えて自分が我慢して黙っているか。
彼女と再会してからは他の女とも遊んでいないので、恋人としては彼女一人をずっと甘やかして可愛がっているわけだし、互いにそこまで主張の激しいタイプでもないし、五条は気を回すし彼女は聞き分けがいいので、大して喧嘩をしたこともない。
でも、彼女が他の人間には下らない我儘や文句を言っているのかも、と思うと、それを自分にも言ってほしいな、と思うのは、彼女に惚れているから故の、強欲だ。
「まぁ別に。話してみれば? 向こうも案外同じようなこと、思ってるかも」
「……そう?」
反屋はあまり興味なさげに言って、またちらりとオフィスの端で何度も何度も頭を下げている椎良に目線を向けた。「俺だって楽しみにしてたし、浴衣だって見たかった!」 職場であるという気遣いから殺していた本音が、とうとう飛び出たようだった。
半泣きになってる椎良が戻ってるときもまだ「彼女持ち」のままなのかどうかは、電話の向こうの椎良の気の強い彼女が、ずっと握っている。
残念だな、という気持ちがないわけではない。
彼女は決まった時からウキウキして、雑渡や高坂や押都に「今年の花火は五条さんと観に行くんだぁ」とお話ししていたし、浴衣なんかも、着ちゃおうかな?!と思って、浮かれて、自宅の着物箪笥から浴衣をいそいそと取り出して着付けの練習とか、今風の可愛い和装の髪型アレンジの練習とか、そういうことに勤しんでいたわけである。
だから、五条の仕事が終わらなくて「明日の花火、無理かも……」と連絡があった時に、がっかりしなかったわけではない。けれど五条が心から申し訳ないと思っているのはわかっていたし、いつも彼女を甘やかして最大限に愛情をかけてくれているのもわかっている。だから、「大丈夫ですよ」と言ったのは、別に心からの気持ちだった。
花火なんて毎年見れるものだし、見ようと思えば少し遠出したっていい。五条と一緒に見るから価値があるので、花火自体に価値があるわけではないのだ。
「なら、そんなにも目に見えて落ち込むなよ……」
「それとこれとは、別なんですぅ……」
のべ、とソファに拗ねたようにだらけて転がって、五条からの連絡を受けたスマホを手元でつつくのに、一緒に雑渡宅で夕飯を食べていた高坂が言った。花火の有料席のチケットはもう交換サイトに出したから、他に行きたい人がいればその人が買ってくれるだろう。
「明日の花火、なしになった」と言ってのろのろと廊下からリビングに戻ってきた彼女を、高坂はまた白けた目で見たし、同じく一緒にいた雑渡は「え、押都のとこ、今そんな炎上中なの?」と、押都に電話を掛けに入れ替わりで部屋を出て行った。
「五条さんに『可愛い』って言ってもらえるように、いっぱい髪の毛とか練習したのに……」
「あいつ常日頃いつ何時でも、お前のこと『可愛い、可愛い』って言って憚らんだろ」
「それはそうなんだけど……、そうじゃなくて!
初めてした髪型とか、恰好のとき、五条さんはちょっと驚いた顔してから、それから可愛いって言ってくれるの!」
初めて見る髪型とか、髪を切った後とか、いつもと少し違う服を着た時とか。五条は少し驚いたように言葉を止めて彼女を見て、それから噛みしめるみたいに「可愛い、俺のためにしてくれたの?」とか腰を引いて抱き寄せて、恥ずかし気もなく甘い言葉を吐きながら、褒めてくれる。
それが如何にも自分が彼に愛されているようで、そういう時の五条の目が、彼女を可愛くて愛しくて堪らないと言っているのを見るのが好きで、せっせと「可愛い」の練習をするのである。
「別に花火なんか、夏中そこらでやってるんだし、また行けるだろ」
「わかってる、わかってるけどぉ……」
うにうに言いながら、ソファの上でもだついていると、廊下から電話を切りながら雑渡が戻って来た。
「あれね。どうも、大炎上中みたい。あれは無理だわ。諦めな」
「うう……、わかってる……」
「明日陣内のところがウチに来るから、ミヨシも陣左と一緒に混ぜてもらいな」
「いえ、俺は別に……」
「陣内が。最近陣左との距離が遠い気がするって言って、嘆いてたよ」
「………………参加します」
高坂が雑渡のところに来たばかりの頃は、まだ雑渡も現場で仕事をしていたので出張なども多く、その間は山本家に世話になることも多かったそうである。その縁で、今も山本陣内は部下である高坂を自分の息子のように可愛がっているし、高坂は陣内にも頭が上がらない。
まんまと高坂は明日の山本家ご一行との花火大会の集まりに参加することになったし、それは彼女も同じくである。
「明日は、陣内のとこのチビ達も浴衣着せるって言ってたし。ミヨシも着たらいいじゃない」
「……うん」
「それでちゃんと、埋め合わせって五条にもオネダリしな」
「……はぁい」
返事はしたが、彼女は結局いい顔だけをして五条にオネダリすることが苦手なのである。五条が自分からのオネダリは何がなんでも叶えてしまうのを知っているから、余計に。
雑渡は彼女のそんな内心もまるでお見通しかのように、ちらりと眼帯に覆われていないほうの目で、彼女を睥睨した。
花火が始まったのは、午後八時頃のことで、ようやくエラー修正への目途が立ったところでもあった。オフィスの窓からも、遠くで花火の上がる破裂音と、きらきらとした多色の火花が見える。
「五条、こっち目途立ったし少し休憩してきてもいいぞ」
「あ、ほんと?」
「ああ」
窓に目を向けた五条に、反屋が言った。その向こうで椎良は目元を赤くしてせっせとモニターを睨んでいて、どうやら昨日あれから、また振られたらしい。ご愁傷様……、とは思ったが、どうせ椎良とその彼女はまた下らない理由を付けて復縁するのである。
反屋は恐らく、花火が始まったしとりあえずの埋め合わせで電話でもしてきたらどうだ? と言ってくれたのだろう。有難く部署内の彼女ナシの諸兄らを刺激しないようにオフィスを出て、廊下の端まで行く。ちょうど突き当りの休憩所にも窓があって、そこからも花火が見えた。
彼女の携帯に電話をかけると、数コール鳴ってから、「はぁい」と彼女が電話に出る。
「ごめん、少しだけ時間空いたから、何してるかなって。思って」
「今ね、昆奈門さんのところで陣内さんのご家族と、陣左さんと、皆で花火見てるの」
以前に押都から、「昆奈門の家は花火が見える」と聞いたことがあったが、これのことか、と思った。
「俺も今小さくだけど、会社から花火が見えるから、見てるよ」
「そうなんだ、……お疲れ様です。
ね、今上がったやつ、綺麗だったね」
「うん、四方にきらきらしてた」
「あ、仕掛け花火だ、なんだろう? 西瓜?」
「西瓜かも、次は……、イカ?」
「イカの花火! ちゃんと白い、すごいね、面白いね」
そうやって話をしながら、本当ならこれを隣にいて話したかったのにな、と思う。彼女も同じことを思ったのか、電話の向こうからは花火が上がる音と、陣内のところの子ども達の歓声だけが聞こえて、彼女も少しだけ、黙った。
「あのね…五条さん、あのね。お仕事だから仕方ないってわかってるけど、本当はね。
浴衣着る練習もしたし、可愛い髪型の練習もしたの」
「……ウン」
「花火が見たかったわけじゃなくて、五条さんと花火に行きたかったの」
「うん。ごめんね」
「ウウン、でもね。お盆に村に帰ったら、一緒に花火しようね」
「うん絶対。約束」
「うん」
じゃあ、また連絡するね、と言って通話を切った。本音を話してほしいとは昨日反屋と話をしていたが、実際に「本当は行きたかった」と言われると罪悪感で胸が潰れそうになる。俺は……どうしてこんなに仕事に追われて……と呻いて、ウウと頭を押さえていると、持っていたスマホがもう一度震えた。
見れば高坂から、写真が送られてきていて。
妙な予感がして開けば、浴衣を着て髪を結い上げて、食後のデザートなのかアイスの小さなプラスチックスプーンを咥えている彼女が、そこには映っていた。
いつもの、五条に向けるはにかんだような笑顔ではなくて、高坂に呼ばれて振り向いた、というような素の表情である。
「か、かわいい……」
悔しさと、可愛さ故の息苦しさで五条はもう一度呻いた。掲げるようにスマホを持ち上げて、何度かその浴衣姿の彼女を見、深く溜息を落として、もう一度見る。
五条はややあって、スマホを手繰ってトトトと高坂へメッセージを入れた。
「……お。五条から」
彼女を呼んで、ふいうちで写真を撮った高坂は「待ってなんで急に写真撮るの、変な顔してたかも!」とキャンキャン煩い小娘を尻目に、友人に彼女の写真を送り付けた。
別に高坂だって、半目になっていたり写りが悪ければ撮り直すが、別にそうじゃなかったし、恐らく五条はこの手の写真が死ぬほど好きだろうと思っている。悪友兼幼馴染なので、友人の好みは理解しているつもりだった。
キャンキャン煩い彼女をいなして、傍目から見ればじゃれて遊んでいれば、ややあってその五条から返信が戻って来た。見れば、
『今度奢るので、お願いしますから浴衣のミヨシちゃんの写真を大量にください。お願いします』
とある。
キャンキャンじゃれつく彼女にそのメッセージを見せてやれば、彼女は顔を赤くしてしおしおと、高坂へじゃれつくのを止めた。
「じゃあその『お写真』。撮りますが」
「……はい」
ギャーギャーうるさく高坂に文句を言っていた彼女は、すっかり大人しくなって、高坂を少しだけ睨むようにしてから、目を伏せる。ほんのり染まった頬と、恥ずかしそうだが少し拗ねて尖ったような口許は、まるで小さな子どものようだった。
高坂にとっては今も彼女は「小さな妹みたいなもの」なので、それにかわいいかわいいと言って、繰り返しの愛を伝える五条の、友人の気持ちが。とんとわからないな、と思っている。
五条のお兄さんはその後、大親友の高坂さんから送られてきた大量の彼女の隠し撮りを、自分のスマホのフォルダに厳重に保存・保管することになる。高坂さんは「写真撮るからな」と言って一度断ったのでいいと思って、その後もパシャパシャ適当に彼女の写真を断りも入れずに撮りまくり、それがそのまま五条のお兄さんに流れた形である。
「そういうところだぞ、高坂……」案件なのだが、役得だったので五条さんはそのまましれっと黙った。ただ一言だけ、「高坂にさ、あんまり隙みせちゃ駄目だよ」と彼女にご注意された。
多分反屋くん辺りが傍から聞いていたなら、「お前が言うか」と呆れるような。そんな顛末のお話であったのだ。
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