エピローグ:(元)六年の兄さんと、くのたまちゃんだったあの子と、そしてそれから
※注意事項※
食満留三郎は、おや、と思った。
食満は生来の社交力の高さや面倒見の良さもあって、いくつかのサークルを掛け持ちしているのだが、四月になって開催されたその新入生歓迎会で、何となく見覚えのある少女を見つけたのである。
小学校か、それとももっと昔か。物心ついてからではない、もっと昔に見た顔な気がして、テーブルの端っこで一人、手に余る大きさのグラスを持ってジ、と固まっているその子に、食満は飲み会特有のほやほやとした気持ちのまま、話しかけた。
「君、一年生か?」
「……あ、え、……はい」
「名前なんていうんだ? 自己紹介のとき、聞きそびれたみたいで。申し訳ない」
「烏瓜、です……」
「へえ、下の名前は?」
「ミヨシ、烏瓜ミヨシです」
ちま、とした少女は急に話しかけてきた食満に、ぽそぽそと小さな声で答えた。体も何もかもがなんとなく細っこく、分厚いビールグラスも彼女が持つだけで、とんでもなく重たいものに見える。このサークルは一応フットサルがメインの活動だが、騒がしい人間が多いので楽しそうならなんでもやるようなところもある。
なんだか大人しそうな見た目もあり、彼女は本当にフットサルをやっているのかそれともやろうと思っているのかと、食満は少し不思議に思った。
「君、フットサルをやるのか?」
「……? いいえ」
「…………これからやるとか?」
「あんまり……、興味は……」
「…………んん? じゃあ、なんでここにいる?」
「なんか急に連れてこられて……」
ここ、フットサルサークル?の飲み会ですか?などと惚けた聞き方をする彼女に、話を聞きながらずっこけそうだった食満が聞いてみれば、大学構内をちまちまと歩いていたところ、なんか声を掛けられてあ…とかウ…とか言っている間に連れてこられてしまった、とのこと。
「あ、さっき連れてきた子。君かわいいよね、飲んでるゥ?」
「先輩、この子新入生なんで、二十歳になってないっすよ」
「エ? ああ、まあいいじゃん。細かいこというなよ、食満」
「いやこの子、俺の知り合いなんで、困ります」
「エエ~~」
みんながみんなそうなのではないが、大学のサークル活動は少々羽目を外し風紀が乱れがちなところがある。食満も掛け持ちしているのでここのサークルの内情にそこまで詳しくはないのだが、サークル内の男女関係はそこそこに入り乱れており、まあその日限りの関係も多い、とも聞く。
つまり、「かわいい女の子枠」としてあれよあれよとよくわからないまま、連れてこられたのがこの彼女、というわけだ。
「……会費二人分置いておくんで。
この子、連れて帰ります」
フットサル自体は楽しいし、所属している人間も明るくて気のいい奴が多い、と思っていた。けれどこんな何もわかっていないような新入生をこんな飲み会まで連れてきて、あまつさえ酒を飲ませて、何をしようというのか。
財布から二人分の会費を出してテーブルに置き、まだよくわかっていない顔をしている彼女の荷物を持たせて、腕を引いて居酒屋の大間から出る。途中で帰ろうとする食満に顔見知りが何人か声をかけたが、食満は帰ると言って頑として聞き入れず、そのまま店を出た。
「え? ……え? あの、お金……」
「気にするな。騙されてこんなところまで連れてこられて、迷惑料だとでも思ってくれ」
「はぁ……」
「基本は気のいい奴が多いと思っていたんだが。
こうして君みたいな子を無理矢理連れてくるようになるなら、俺もそろそろ抜けるかな……」
「え、と。あの……、どういうことだったんですか?」
「………………説明に困る」
要するに、このサークルはいつの間にか魔進化を遂げて、所謂ヤリサ―になりかけているのである。人間関係が少し煩雑で……というか、節操のない人間が多いな、とは思っていたが自分自身への粉かけは適当にあしらっていたので気にしていなかった。
…………が。
どうもこうやって女の子をどうにか連れてきて、挙句二十歳未満でも関係なく酒を飲ませようとする辺り、ヤリサ―になってしまった気配がある。
「まあとりあえず、今後このサークルには近づかない方がいいのと、サークルの勧誘には十分気を付けろ」
「はあ……」
「駅まで送る。最寄りはどこだ?」
「あ、えと……」
聞いてから、仮にも会ったばかりである自分が最寄り駅も聞くべきではなかったな、と思ったが、彼女は特に気にする気配もなく、最寄り駅を答える。その沿線までの駅の改札までその少女を送ってから、そう言えば、前にどこかで会ったことがないか、聞くのを忘れたな……と思った。
「あ……、この間の」
「…………ああ、君か」
その少女と次に会ったのは、一週間後のランチタイムの食堂にて、だった。お盆を持ったままアワアワとどん臭くそうな動きで、あちこちをうろついている女の子がいるな、と思って麺を啜りながら目で追っていたら、ふとその子と目が合った。
「知り合いの子?」
「……ん、まあ」
一緒にいた伊作が食事の手を止めた食満を見て、聞いてくる。
「席ないの? ここに来なよ」
「……あ、ありがとう…ございます」
ちまちまとお盆を持ったまま近づいてきて、伊作が差した彼の横の席に盆を置く。盆の上に乗っていたのは本日のパスタだったが、どう見ても冷えて固まってしまっていた。
「ずっと席、見つけられなかったの。可哀想に」
「あ、ぅ、……私、どん臭いので」
「向こうにレンジがあるから、かけてきてあげるよ。貸して」
「あ、自分で……」
「いいのいいの」
伊作が言って、彼女の盆から皿を取り上げて持っていく。元々面倒見のいい男なので、食満は何も言わずそれを見送ってから、「先にサラダでも食べておいたらどうだ」と促した。
「は、はい……」
彼女はちいまく言って、フォークを使ってちまちまと野菜サラダを食べる。ふと、その右手にきらきら光る指輪がくっ付いているのが目に入った。
こんなもの、前見たときは付けていなかったよな……と思って見ていると、その視線に気づいたのか、彼女が「……ハっ」と何かを思い出した声を上げて、食満を見る。
「あの、今度また会ったらお礼を言っておきなさいって、言われてて」
「ん、俺にか?」
「はい、あの、私。未だによくわかってはいない…んですけど。
『やりさ?』というものに、私は巻き込まれそうになった、という理解でよろしいのでしょうか……?」
「ン、んん、ああ。……間違っては、いない」
戻ってきた伊作が途中からの彼女の話を聞いて、怪訝そうな顔をする。「ホラ、俺がこの間辞めたフットサルの、」と言うと、伊作はああ、と納得の顔をした。
「あの、あの、ありがとう……ございました……!」
「あ、ああ……」
「本当に危ないところを、助けていただいたようでして……」
よく理解していない、と言うわりに危ないところだった、というのは聞かされている。ふと、彼女が羽織っているシャツが、そう言えばサイズがかなり大きく膝まで隠れるような丈であったことと、袖もだいぶ折っていることが目に入る。
SNSで、ちらっと見たことがあるような……。どこかのそこそこにいい値段がするブランドの、定番型のシャツじゃないか、これ……、男物の……。ということと、彼女が先日にはつけていなかったのだろう、主張の激しいきらきらした指輪を、もう一度、見る。
「ああ……、カレシに?」
「え、あ、……ぅ。はい……、すっごく、怒られました……。危なっかしすぎる、って……」
ぺそ……と肩を下げて、彼女は眉をへの字にする。要はそれで彼氏にドっ叱られて、男避けをとりあえず付けておけとばかりに指輪を買い与えられ、男物のシャツを着せられているようである。
まあここまでカワイイ顔をしているのだから、男の一人や二人はいるだろう。……いや、二人はないか。
なんとなく、首輪をつけるみたいに彼女の背後から主張をしてくる件の「カレシ」と言うものに気に食わなさを覚えながら、まあいいか、と食満は首を振る。
「まあ、そういうこともあるから。知らない人の誘いには、学内でも簡単に付いていかないようにな」
「そうだね、結構色んな人が入り混じってるから」
大学は基本的に敷地内は出入り自由だし、出欠を取っていない講義やIDに拠る入館管理をしてない建物も、まあ入れてはしまう。さらに言えば相手が学生だから安心できるわけでもないし、彼女のように見た目がそこそこ整っている子なら、悪い考えの男だって寄ってきやすい。
「友達は? 結構そういうのは、女の子の方がしっかりしてそうなものだけど」
伊作が聞いたのに、彼女はパスタをフォークに巻きながら、うにゅ、と眉をまた下げた。
「…………ぁ。私、友達、いなくて」
「え」
「なんか、あんまり女の子に好かれたこと、なくて」
「あ、…ワ、僕が悪かった、泣かないで……」
に、に、に…と目元を潤ませた彼女に、伊作が慌てて自分の鞄からハンカチとティッシュと取り出す。彼女はグシグシと顔を洗う小動物みたいに手の甲で潤んだ目元を擦って、すみません、と、にへらと笑った。
「…………ハム四郎だ」
彼女への既視感の正体をそのときようやく思い出して、食満は思わず呟いた。「……ハ?」 彼女を泣かせたことに慌てていてそれどころではない伊作が、食満の呟きを聞き咎めてド低い声を出す。
食満は慌てて咳払いをして自分の失言を誤魔化すと、なら、と言って彼女を見た。
「これも何かの縁だ。俺たちと友達になろう、えっと。……ミヨシ?」
「留三郎、女の子の下の名前を呼び捨てなんて」
「ああ、そうか」
「あ、あの……! いいです、ミヨシって呼んでください、えと、あの……」
そう言えば、まだ名乗っていなかったことをようやく思い出す。先ほどと打って変わって日が差すように笑った彼女に、食満も微笑んだ。
「よろしくな、俺は食満留三郎」
「僕は善法寺伊作。善法寺は呼びにくいから、伊作でいいよ」
「はい、あの……、えと……食満先輩! 伊作先輩!」
にこにこと笑って彼女の呼んだ自分たちの名前に、奥底のようなところから何か、懐かしい気持ちのようなものが湧き出る。
その身を襲った郷愁に、食満も伊作も虚をつかれながら、いつの間にか大人っぽくなって笑う、彼女の笑みを見ていた。
結局彼女はその後、食満と伊作が少し面倒を見て、自分たちも所属している歴史研究のサークルに入ることになった。
お堅い活動しかしていないサークルで、日帰りできるくらいの距離の遺跡や寺院の見学とか、書籍の貸し借りとか、そういうことしかしていない。ただ地味な活動の割りに在籍学生にはそこそこ真面目で優秀な者が多く、文化祭のときの展示も学生が趣味として歴史研究をしているにしてはレベルが高い、と地域の方や学外から褒められることもある。
なので、地味で特に宣伝もしておらず所属人数も少ない割に、そこそこキチンとしたサークル室を与えられているのが、その歴史研究会だったのだ。
彼女も折角大学生になったんだし、サークルっていうものをしてみたいな……とは言うのだが、食満との出会いの一件もあり、どうにも危なっかしい。面倒見のいい伊作もそうだが、食満も彼女がどうにも他人に思えなくなってしまっていた。
だって、彼女にそっくりな飼っていたハムスターのハム四郎(食満家の四男だった)は、食満が部屋の中を散歩させていたときに、目を離したらいなくなってしまっていて、気づいたときには父親のケツの下にいて……、ハム四郎は……。
という、悲しい過去がある。
彼女も同じように、目を離した隙になにかあったら……と亡き妹を見るような心地になって、食満は気が気でなかった。ちなみに食満家が男三人兄弟だったので「ハム四郎」と名付けられたが、ハム四郎はメスだった。
というわけで、食満と伊作はサークル活動してみたいなぁ……ともちもち言った彼女に、地味だけど、と前置きをしてからその歴史研究会サークルを紹介した。訳の分からないサークルに入るよりかは、自分たちも所属していてどうやっても地味な活動しかしていないこのサークルが、一番安全だ、と思ったのである。
誘いを受けた彼女は、ちまちまっと笑って、家で聞いてきます!と嬉しそうに言った。一番最初に危ない目に合ったことがあるので、ご家族も心配しているのだろう……と思っていたら、ご両親は海外赴任中で、主に面倒を見てもらっているのは、三十代の親戚の男なのだと言う。
ちょっと、それって、なんかいかがわしくないか……と不安に思っていた二人のところへ、わざわざ挨拶にきた「親戚の人」というのが、伊作が先日からバイトでお世話になっているところの取引先の偉い人だったし、なぜかとんでもなくその「親戚の人」というのに気に入られてしまった伊作と、それを追い払おうとする食満の悶着があったり、食満が女の子を連れてきたということで同じくサークル所属の潮江に「彼女を連れ込んだ」と勘違いされて喧嘩が勃発し、自分のせいだと思った彼女がビイビイ泣くことになったり……。
などと、とても大学生とは思えない落ち着きのない悶着はいくつかあったのだが、最終的には、なんとか落ち着いた。
友達がいない、と言って泣いていた彼女も、サークルの中で同年の尾浜や久々知や鉢屋、不破、竹谷と仲良く授業を受けているところを見るし、女の子の友達も、本当に数える程度だができたそうだ。
彼女が、自身の彼氏に付けられているきらきらしい指輪は変わらず指でギラッギラ光っており、時折男物の服を着せられて「ごじょーさんが」と言って話も聞く。
一緒にいることが多いので、食満と彼女が付き合っていると勘違いされることも多いのだが、こんなにも彼女の背後から男の気配を立ち昇らせるような、クッソ激しい主張を、俺はしないからな……!と食満は苦々しく思っている。
丸っきり、首輪みたいなものなのである。
サークルの活動で遅くなったときも、連絡する相手は保護者役の親戚の男――雑渡ではなく件の「ごじょーさん」だし、ちょっとした飲み会や、寺院散策へ行くにも、その場所をごじょーさんに伝えている。
そりゃあ、心配だろうな……という気持ちと、それにしたって過保護すぎないか……?という気持ちが半々だし、休み明けに如何にも男物の服を着せられて、いつもの彼女の服装とは明らかに違うコーディネートをされているのを見ると、こう、主張が激しい……という気持ちになる。それになんだか、妙な生々しさを感じる。
彼女を数度大学まで迎えに来た他大学の男がいたので、それが「ごじょーさん」か?と聞いたら、それは二つ年上の幼馴染で「ごじょーさん」は七つ年上の社会人なのだと言う。
大丈夫か、それ、なんか騙されてないか……?と不安に思うが、伊作などは「雑渡さんが大丈夫だと思ってるなら、大丈夫じゃない?」などと、あの怪しい保護者役の肩を持つようなことを言う。
というわけで、食満も他のサークルのメンバーも、「ごじょーさん」の存在は認知していたが、会ったことはなかった。あとあまりにも激しく「俺のだからな」みたいな主張を都度しまくってくるので、わかっとるわい!と、少しイラついてもいた。
……で。
ようやくその件の「ごじょーさん」と歴史研究会の面々がご対面することになったのは、彼女と知り合ってから二年目のある日だった。
ようやくお酒が飲めるようになったんですぅ、という彼女は、まあそうだろうな……というイメージ通り、そこまで強くない。文化祭終わりの打ち上げで、居酒屋を予約してみんなで飲んだはいいが、彼女がお手洗いから戻ってこないと思って探しに行けば、別サークルの飲み会にいつの間にか引き込まれており、そこで少々多めに酒を飲んでしまっていた。
慌ててそこのサークルの幹事に怒鳴り込んで彼女を回収したが、普段は飲まないような度数の強い酒を飲んだせいで、彼女は酔ってふにゃふにゃになってしまっている。
どう見ても自力で帰れそうもない彼女の有様に、どうやって、誰が連れて帰るのか、ということでみんなで顔を付き合わせて困ってしまった。
その時、救世主のように、彼女のスマホにかかってきたのが件の「ごじょーさん」からの着信である。
「はい、烏瓜さんの携帯です、彼女、酔って潰れてしまっていて……」
食満は慌ててその着信を取り、男が彼女のスマホに応答したことに疑念の余地を生ませない速度で、今の状況を端的に説明する。
電話の向こうの男は、少しだけ驚いたように黙ってから、「そうですか」と落ち着いた声音で言った。
「では、俺が迎えに行きます。今日は――駅の側のお店でしたっけ」
「あ、はい、そうです」
「今仕事が終わって出たところなので、十五分くらいあれば着くかと。
すみませんが、それまでよろしくお願いします」
電話の向こうの男は、さらっと言うとそのまま通話を切った。研究会のメンバーは、ついにあの主張のドっ激しい彼女の彼氏を見ることになるのか、とざわざわしたが、実際十五分後に現れたのは、優男じみた、柔和そうな顔つきの男だった。仕事帰りだというのにスーツなどではなく私服なので、技術職なのだろう、と何となく想像する。
元々下がり眉の顔つきを更にすまなさそうにして、深々頭を下げてくるのに、慌てて食満たちも頭を下げる。
「すみません、五条です。……ミヨシが、迷惑をかけまして」
「いえ、こちらこそ。ナンパされて他のグループのところに連れ込まれてしまっていて、俺たちがちゃんと見ておけば」
「ああ、そういう。飲んじゃダメだよって言ってあるし、いつもはそんなこともなく帰ってくるのに、変だなと思っていました」
五条は少し笑って言うと、居酒屋の畳の上でふにゃふにゃしている彼女のところにかがみこんで、「ミヨシちゃん」と声をかける。
「……あ、五条さんだぁ」
「ん、迎えに来たよ。帰ろうか」
「……ン、帰る、五条さんと」
自分の脇にかがんだ五条の首に向かって腕を伸ばして、五条も慣れた様子で彼女の背中に腕を回す。「ミヨシの荷物、もらってもいいですか」とこちらに声をかけて、慌てて伊作が渡した彼女の鞄を肩にかけて、そのまま彼女を横抱きに抱き上げる。
「すみません、じゃあ。ご迷惑おかけしました」
腕の中でふにふに言いながら擦り寄っている彼女にも慣れた様子で、五条はそのまま普通に挨拶をして帰っていった。
「…………え? あれがあの、いつもの主張激しいカレシ???」
「ウワー、イメージ違ったなぁ」
鉢屋と尾浜が後ろで言い合う。全くの同意見だ、と思いながら、食満はなんだかドっと疲れて、近くにあった烏龍茶を飲んだ。
「なんだ留三郎。ちょっとショック受けた、みたいな顔して」
「お前マジで烏瓜のこと、好きだったのか?」
こちらを冷やかしてくる立花と潮江の言いぶりに「ちっげぇよ」と言い返しながら、食満はがりがりと自分の首を少し掻いた。
「二年も面倒見てるから、カワイイ妹分なんだよ。
……変な男と付き合ってるなら、別れさそうと思ってたけど。あんま非の打ちどころなさそうだ、と思って」
「……もそ」
「つまり、どうしたらいいか、わからなくなった、ってやつか!」
長次と七松に明け透けに言われて、「ちが……!」と言い返そうとしたが、まあ違うくはないな、と思い返す。
「……いい人そうで、良かったよ」
ややあって言った食満の言葉に、他の男たちも同じく頷いた。
歴史研究会は、彼女以外は全員男ばかりなせいで、彼女は「歴史オタサーの姫」とかいう、とんでもなく不名誉な名で呼ばれている。
しかしまあ彼らが、彼女を猫っ可愛がりしているのは事実のため、今の彼らの心情としては、俺らの姫についたのは悪い虫じゃなくてよかったね、の心なのである。
つまるところ、今の世の彼女も。
都合よくも悪くもみんなに大事に思われている、かわちいかわちい、みんなの大事な女の子だった、という話なのである。
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慌てて走って来たから、居酒屋の店の場所をよく確認していなくて、タクシーを呼んだのは居酒屋から少し離れたところだった。
ウニウニ言って自分に擦り寄ってくる彼女を抱え直して、「少し歩くから、ちゃんと掴まっててね」と彼女に声を掛ける。
「う、…ン」
「ミヨシちゃんさぁ、ナンパには気を付けてっていつも言ってるのに」
「ぁ、ゥ……」
小言を言いながら、夜の道を歩く。大げさに女の子を抱えて歩く五条を道行く人はじろじろ不躾に見たが、今の五条には、でも彼女もう未成年じゃないし淫行じゃないし、というドデカい大名義分がある。
もう人目など、五条にとっては至極どうでもい~こと、なのである。
「ごじょ、さん、」
「ん、なに」
「ア、…ぅ、ン、……だいすき」
酔って意識が混濁している中の寝言なのか、それとも少しお怒り気味の五条の機嫌でも取ろうと言うのか。
どちらなのかわからないけど、迎えに来た五条に嬉しそうな顔をして、すぐさま強請るように抱き着いてきて、今だいすきなんて言って。そういうことをされると、彼女から全幅の信頼と、愛情を向けられていることに、自分だって全然悪い気はしない。
大学生になって、心配していた矢先にヤリサ―に捕まって飲み会に連れ込まれていたときも「もう大学なんか辞めさせましょうよ……」と思わず雑渡に言いにいったし(雑渡もちょっと乗り気だったので、押都に「現実的に考えろ」と二人で叱られた)、やっぱり共学の大学なんて心配……!!!と言ってギラギラ石の付いた指輪を買い与えて自分の服を着せて学校に行かせていることがバレたときは高坂に白々とした目で見られたし、男ばかりが在籍しているサークルに入ると聞いたときも本当に気が気じゃなくて、そわそわソワソワしているところを椎良と反屋に頭ぶっ叩かれて仕事してろと怒鳴られ。
そういう二年だったのだが、それでも友達ができたと言って嬉しそうにして、彼女が危ないところをこうして助けてくれるような先輩や同級生に会えて、よかったね、と五条は素直に思っている。
顔が見えないままの彼女に、五条は信号で立ち止まった隙にそっと耳に唇を寄せた。他の誰にも聞こえないように彼女だけに、小さく囁く。
「ウン、俺も。大好きだよ」
そう言って顔を上げれば、髪に隠れた隙間から見える彼女の頬がジワ…と赤く染まったので、やっぱりご機嫌とりだったか、と思って五条は少し笑った。
大好きと言い合うだけで取れてしまう互いの機嫌とは、随分お安い自分たち、である。
最後までご精読いただき、本当にありがとうございました!!!!
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