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月が見ていた


 円上の村の敷地の真ん中には忍軍の小隊それぞれの詰め所があり、その奥に雑渡や押都、山本などの宗家の屋敷がある。
 弾は先日に無事黒鷲隊への所属が決まり、今は黒鷲隊の先輩について忍者の修行をしているところだ。そのため毎日黒鷲隊の詰め所に通い、日暮れ前には帰ってくることを繰り返していた。
 父と、隣家の幼馴染の父親も連れだって任務に出たままで、数か月戻っていない。幼馴染の彼女も、弾と同じく黒鷲隊の所属となったのだが、彼女は弾たちとは別の訓練があるらしく、黒鷲隊の詰め所では別々だった。
 いつも弾たちの面倒も見てくれる反屋の小母さんから「夕食のおかずを持たせるから連れてこいと言われた」と反屋がいうので、反屋の家に寄ってから帰る。
 息子の壮太と弾を家で迎えた反屋の小母さんは、弾を見るとこう言った。

「帰ったら、真砂の様子を見てあげてくれないかい?」
「どうかしたんですか」
「体調が悪いからって今日は早く帰されたらしいんだけど、うちも今は末の子が熱を出していて。
 風病(風邪)なら移るといけないからって、真砂は自分の家に戻ったのよ」
「そうだったんですか」

 確かに朝に見たときも、少し顔色が悪かったように思う。弾は小母さんに自分たちの分のおかずのお礼を言って、自分の家に戻った。
 彼女の家と自分の家は、少しだけ間が開いているが互いの家が一番近い。自分の家には寄らず、そのまま彼女の家まで行き戸を叩く。

「真砂、大丈夫か」
「弾」

 中で横になって寝ていたらしい彼女は、布団から体を起こした。土間の竈門近くにもらってきたおかずを置き、そのまま居間に上がる。
 体を起こした彼女の顔色は、相変わらずよくなかった。手のひらを額にやって熱をみるが、あまり熱いわけでもない。むしろ少し肌寒いのか、彼女は弾の手に心地よさそうに擦り寄った。

「寝ていて、よくなってないのか?」
「ううん、わからない。少しお腹が痛いような気もするけど」
「ふうん」

 弾は言って、寒いのならもう一枚着物を出してやろうか、と物入れに向かって立ち上がった。彼女も、手水に行く、と言って立ち上がる。物入れから彼女の父親の着物を出して、ふと振り返ると、血が。滴っていた。
 赤い血がぽつぽつと垂れて、彼女の足から、床を、寝ていた布団の上を、汚している。弾があんぐりとしてその光景を見ると、弾の様子に気づいて振り向いた彼女も、その血を見てさっと顔色を変えた。

「月ものが、はじまった……?」

 その言いぶりは、彼女がこの光景について、滴る血について、何か理解しているようだった。

「だ、大丈夫か、それ……」
「あ、弾、あの……」

 彼女はさっとその場に蹲ると、顔を真っ赤にして腕の中に伏せた。その中からくぐもった声で、「反屋の小母さん、呼んできて」と言う。

「わかったけど、お前、死なない? 大丈夫か?」
「死にはしないけど」
「俺が反屋の家まで負ぶっていったほうが、早くないか?」
「着物汚しちゃったし、やだよ」
「で、でも」

 弾は少しそうしてぐだぐだと言ってから、顔を俯けて蹲ったままの彼女をこれ以上どうしたらいいかわからなくなって、そのままだっと反屋の家まで走り出した。
 慌てた様子で戻ってきた弾に、反屋の小母さんは怪訝な顔をしたが、彼女が足から血を出して泣いているというと、さっと顔色を変えて走っていく。
 小母さんは彼女の家に着くと、弾をそこから締め出して、中で何か彼女と話をしているようだった。
 騒ぎを聞きつけた壮太が勘介も連れて様子を見にきて、アワアワと泣きそうな弾を慰める。

「大丈夫だよ、うちの姉ちゃんもなったんだ。そのツキモノ?ってやつ」
「……そうなのか?」
「ほら、だけどピンピンしてるだろ、うちの姉ちゃんもさ」

 励ますように勘介に言われて、弾はぐしゅ、と鼻を啜った。途中で呼びに行くように言われた勘介の母、椎良の小母さんも駆けつけてきて、日暮れすぎにやっと弾は常磐津の家に入れてもらうことができた。
 彼女の顔色の悪さはそのままだが、今はもう泣いてはおらず、小母さんたちに作ってもらった粥を食べている。

「お前たちどちらか、押都様のところへ。この書付を持って行ってくれないか。
 この子の父様は今、領にはいないって話だからね」
「二人で行くよ」

 壮太と勘介が言って、二人が連れだって家を出ていく。そんなに、黒鷲隊の小頭の押都に報告しなければいけないほど具合が悪いのかと思って弾が顔を青くすると、それに気づいた反屋の小母さんが「違うよ」と優しく言った。

「具合がいいわけではないが、病ではないから。
 真砂は、大人の女になったんだよ」
「大人に……?」

 大口を開けて粥を掻っ込む彼女を見て、弾は訝しげにする。弾の視線に気づいた椎良の小母さんが、「こら」と言って彼女の頭に拳骨を落とした。彼女は同年の子どもが周りに弾と勘介と壮太しかいなかったせいで、なんというか、所作ががさつなのだ。
 だというのに、小母さんは彼女を『大人』の『女』だという。訳がわからないと首を傾げていると、少しして壮太と勘介が戻ってきた。押都からは「相分かった」という返事と、七日ほどの彼女の休暇を申し付かったという。
 小母さんたちは明日また様子を見にくるということと、小豆の準備がどうとか、という話をしながら壮太と勘介と一緒に帰っていった。
 別に命の心配なんかないよ、と小母さんたちは口々に言ったが、やはり心配なことに変わりはない。今日は常磐津の家に泊まることにして、小母さんたちの作っていってくれた粥を食べると、風呂に入り彼女の隣に布団を敷いた。

「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ、弾は心配性だなぁ」

 彼女は軽い調子で言うので、とりあえずお休みと言って寝たが、夜半になって彼女のほうの布団から衣擦れの音がする。どうしたのかと思ってみれば、彼女が苦しそうに呻いて、腹を抱えて布団の中で丸まっていた。

「やっぱり苦しそうじゃないか、小母さんを呼ぶか?」
「ん、痛いだけだから。大丈夫」
「でも……」

 それでも大丈夫という彼女の額には、薄っすらと脂汗が滲んでいるのが月明りに見える。そっと肩に触れると、彼女はやはり少し心地よさそうに、弾の手に擦り寄った。

「寒いの?」
「少しだけ」

 昔したように同じ布団に上がって、彼女の体を抱き締める。特に十になって忍びの修行を始めてから、あまり男女で仲良くするのは良くないというようなことを言われて、一緒の布団に上がるのもこれが久々だった。
 彼女の体はいつの間にかすらっと手足が長くなっていて、ただ弾の体と違って、あちこちが柔こいような気がする。最近弾のほうも身長が伸びたこともあって、彼女の体をすっぽりと覆ってしまえそうだった。
 はら、と自分の頭の中に過った邪な思いを、そのまま慌てて見なかったことにする。

「弾、少し、手を貸して」
「いいけど」
「お腹、痛くて。手を当てていて」

 彼女に言われるままに、自分の手のひらを彼女の腹に当てる。彼女は大きく息を吐いて、少し肩から力を抜いた。

「……ね、弾」
「なに」
「私ね、『大人の女』になったんだって」
「小母さんたちに聞いたよ」
「ふふ、ね。笑っちゃうよね」

 彼女は笑い口調でそう言うけれど、弾は何がおかしいのかわからなかった。だからただ黙って、彼女の腹に手を当てている。月明りの中で見える彼女の横顔は、どうにも泣いているように見えた。

「忍びの勉強、辛いのか」
「え?」
「嫌なら、やめたっていいんじゃないか。
 お前は特に押都様の秘蔵っ子だって聞くから、勿体ないとは思うけど」
「……弾は、優しいね」

 泣きそうだった彼女は、弾を見てそう、とろりと言った。弾を見た彼女の目に、月の光が反射して光る。長い目元を縁どる睫毛が、ぬら、と濡れたように月光を弾いた。
 彼女はそのままゆっくりと目を閉じ、見れば眠ったようだった。脂汗をかくほど腹が痛かったのであれば、もしかしたら気絶したと言ってもいいのかもしれない。
 弾は彼女の腹から手を離さないように注意しながらそっと彼女の体を横たえ、自分もそのまま横になった。
 
 彼女に、嫌なら黒鷲隊を辞めればいいと言ったのは、嘘じゃない。
 現に反屋の小母さんは近所の子どもの面倒を見ながら忍具の内職の仕事をしているし、椎良の小母さんは村外れの療養所で働いている。
 彼女だって同じように、村の中で生活をすればいいのだ。そうしたときに、行く行くは弾と彼女で家族になるということも、あるのかもしれない。
 弾はぼんやりとそんなことを考えながら、目を閉じた。彼女の薄い腹を、少しだけ、ゆっくりと撫でる。もったりと小さく首を擡げた腹底の色の欲のようなものを、弾は何も見なかったことにした。
 眠って、そんなものはなかったことにしてしまいたかった。

 そうやって眠ったから、次の日に様子を見に来た反屋の小母さんの「何やってるのあんたたち!」という悲鳴で目が覚めた。
 弾と彼女は十三にもなって、と男女で布団を同じくしたことを、また村の大人たちに怒られる羽目になったのだ。







「なんてことも、あったよねぇ」

 今回も無事に戻ってはきたが、帰ってそうそうに「腹が痛い」と呻く彼女を負ぶって、弾は家に戻った。聞けば旅の疲れで遅れていた月のものが、今来たのだという。
 弾も彼女も十八になるが、彼女の粗忽でがさつなところは相変わらずで「まあいっか」と思って痛みを我慢していたら、腹痛で歩けなくなったとへらへらして言うのだった。
 押都に拳骨されていた。当たり前である。
 弾は昔よりも重くなった彼女を負ぶって、家までを歩く。押都はここらで一度、村での仕事をやりきってしまうつもりのようだし、ならば弾も同じくしばらく村にいることになるだろう。

 月明かりの下を背負って歩きながら、ぽつりと背中の彼女が言う。
 私の初潮のときのこと、覚えてる?なんて彼女が聞くので、忘れるわけがない、と返したのだ。

「あのときの弾、すごく慌てていて焦って小母さんを呼びに言っておろおろしてて、可愛かったなぁ」
「そうか、よかったな」
「今は慣れ切っちゃって、全然かわいくない」
「そうか、悪かったな」

 面白くない、という彼女は、そう言いながらも背中でぐったりと弾の背中に体を預けて、脱力している。そうも凭れかかられると重いのだが、と思いながらも、弾はそれを言わない。
 女らしい丸みを帯びた彼女の体が、自分に何の惜し気もなく預けられることに、いささかの満足感を覚えているからだ。
 月明かりの下で、二人で家までを歩く。彼女はあのまま黒鷲隊をやめることなく、諸国を回る忍びになったし、弾は黒鷲隊で押都の側付きになって、変わらず働いている。
 あのとき、彼女が「大人の女になってしまった」と言って泣いたことの意味を、今なら弾は理解できる。
 けれど今の背中の彼女は、そんなことでは泣いてくれない。だから弾は今も慰めを言えないまま、ただ彼女を負ぶって歩くしかできない。

 帰ったら、押都に分けてもらった饅頭を食べよう、と彼女が言うので、弾もそうだな、と言って頷く。
 今のこの彼女と、男でも女でもない、ただの幼馴染の気安い関係をどうかこの先も続けばいいと、弾はそれを願っている。あの空の煌々とした月に、ひっそりと祈っている。
 背中の女の心だけを、知らぬまま。






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